イタリア縦断 ボブ・ディランとイタリア芸術探訪の旅 vol.45 Padova(Caffe' Pedrocchi etc...) (パドヴァ / カフェ・ペドロッキetc...) イタリアの旅も残すところわずか。 ローマの2公演は何が飛び出すか分からない本当に素晴らしいものだった。 その素晴らしい感動を胸に、この旅最後の都市、パドヴァへ。 イタリア北東部にある都市で、ローマからだと電車で3時間30分ほどかかる。 連日、朝から晩までフル稼働していたため大分疲れていたこと、恥ずかしながらパドヴァという都市を旅まで知らず、観光もさほど期待していなかったこともあり、昼頃ローマを出発。到着した頃には昼3時過ぎであった。 駅からタクシーでホテルへ。 街の中心部から少し離れたホテルへの道は閑静で、なんとなく田園調布界隈を思い出させるものがあった。 チェックインした後、散策へ。 まずはBASILICA DI SANTA GIUSTINAという教会に入る。 イタリアはどこの都市でも教会がある。日本でいえば、神社巡りをしているようなものなのだろう。 短期間で沢山の教会に訪れたため、もはや目新しさも感じないが、それでも平日の曇り空、人気の少ないガランとした教会に入ると、なんだか物悲しいような、しかし静寂に心落ち着くような何とも言えない気分になる。 フィレンツェやヴェローナの大聖堂に比べれば小規模な教会だが、佇まいが美しい。少しの間ぼーっと眺めていた。 まもなく出て、近くにあるパドヴァ大学付属植物園に向かったが、既に閉館していたので、街へと向かう。 入り口しか見れなかったが、パドヴァ大学は、あのガリレオやダンテが教鞭を取り、コペルニクスが学んだ場所で、附属植物園は、世界遺産に登録されているのだそうだ。 途中、教会にも寄ったが、そこに「A RICORDO DI S.MASSIMILIANO MARIA KOLBE」という文字があった。 「S.MASSIMILIANO MARIA KOLBEの記憶」という意味だ。 その時は分からなかったが、帰国後検索したら、wikipediaにも紹介があった。 S.MASSIMILIANO MARIA KOLBE...マキシミリアノ・コルベはポーランドのカトリック司祭で、日本での布教経験もある人物だ。 1930年代半ばの時点で、やがて起こる戦争、その時、自分が逮捕されるであろうことを予見しており、第二次世界大戦が起こると、その通り、ナチスに逮捕された。 ポーランドにあったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、1941年、脱走者が出たへの見せしめとして無作為に選ばれた収容者10人への餓死刑に際し、「私には妻子がいる」と泣き叫ぶポーランド人軍曹の身代わりを申し出て、許可され殺害された。 餓死刑に処せられる受刑者は、飢え、渇きで錯乱するのが常だが、コルベ司祭は泰然とし、囚人たちを励ましていたそうだ。 結局、飲まず食わずの2週間後、まだ息があったため毒殺された彼の死に顔は「穏やかで美しく輝いていた」との証言がある。 後に、生前の活動、この死にざまから列聖されたようだが、なんとも凄い人物だ。 パドヴァでは、この日、司祭への祈りが行われていたのだろうか。私も時は違えど、心の中で、彼の安息を祈った。 さて、街へ着いた頃には、もう夕方時。 長居できないが、私には事前調査で、絶対に行きたいと思っている場所があった。それがCaffe' Pedrocchi(カフェ・ペドロッキ)で、創業1831年というから創業180年以上の老舗だ。 レトロ喫茶好きとしては、これは外せない。街に着いて真っ先に向かった。 昔からほぼ変わらないという外装、内装は、1Fホールがイタリアンカラー3色で仕切られており、中央のバーでは、立ち飲みもできるらしい。 ピアノも置いてある。ああ、このピアノが弾けたら楽しいだろうな、と思いながらも自重。 注文したパフェも美味しく、さすが老舗といったところ。 やがてカフェ・ペドロッキを出て、再び街へ。賑やかな界隈を一通り歩き終わった頃には、小雨が降りだしてきた。 この時期は、夕方から夜の訪れまでが早い。 今晩のライヴ会場 GEOXは、繁華街からは大分離れた場所にあるらしく、タクシーでなければ行けない。 小走りにホテルに戻り、予約していたタクシーに乗り込み、さぁいよいよ今回イタリアで観る、最後のボブ公演である。 次へ (2013/11/08) |
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