イタリア縦断 ボブ・ディランとイタリア芸術探訪の旅 vol.15 【古代ギリシア美術〜ルネッサンスまでの過程】 ウフィツィ美術館に向かって歩くと、フィレンツェという街がいかに歴史を大事にしてきたか、ということが分かる。 13世紀から16世紀にかけての繁栄で残された歴史的建造物は、そのままの姿で残り、フィレンツェ歴史地区をかたちづくっており、街そのものが世界遺産になっているのも頷ける。 フィレンツェの街並み そんなフィレンツェを眺めながら、簡単に(教科書的に)西洋美術のおさらいをしてみよう。 〜古代ギリシア美術と、ローマ帝国での継承〜 そもそも西洋美術の出発点は、古代ギリシア美術に見ることができる。 そして古代ギリシア美術は、大きく3つの時代に分けることができる。 理想的な美、自然な骨格や筋肉の表現が探求されたアルカイック時代。 ギリシア神話を題材として、前期(紀元前5世紀頃)には、厳格様式(パトスによる美意識)、そして後期(紀元前4世紀頃)には優美様式(より優雅で美しい彫刻)が作られたクラシック時代。 そしてギリシアがローマ帝国の一部になったヘレニズム時代。 元々都市(ポリス)国家だったギリシア。 アテネを中心とする都市連合軍が、西方に勢力を伸ばしてきたペルシアと戦い勝利したのがサラミスの海戦で、その後、ギリシア文明は黄金期を迎える。 ところが、その後、都市間の抗争が起こりギリシアは荒廃。代わって台頭したのがギリシア北方の部族国家・マケドニアで、有名なアレクサンドロス大王の父・フィリッポス2世の時代にはほぼ全てのギリシア都市を支配。 さらにアレクサンドロス大王が東方に遠征したことで、帝国の勢力はインドまで拡大され、ギリシアの文化は東方まで広がった。 時代くだって紀元前3世紀から2世紀頃。 今度は都市国家ローマが台頭し、全イタリア半島を支配。 アフリカ北岸のカルタゴと地中海を巡ったポエニ戦争にも勝利し、さらに勢力を伸ばす中で、ギリシアも制圧。 アレクサンドロス大王の死後まもなく分裂していた勢力(ヘレニズム3国)も滅ぼした。 ローマ人たちはギリシアの文化に触れ、それらを取り入れようとする。 ギリシア神話の神・ゼウスはジュピター、アフロディーテはヴィーナス、といった具合に、その宗教までもラテン名を持たせることで吸収。 美術においても、クラシック時代を引継ぎ、ギリシア神話を題材にした作品が数多く作られた。 アレクサンドロス大王以降、広範囲で人が移動し様々な文化が交差した結果、より直感的に分かりやすい、情緒豊かで官能的なものが多い点が特徴的。 この時代に作られた、そんな一例が有名な「ミロのヴィーナス」だ。 さて、対抗勢力を滅ぼしローマに凱旋したオクタウィアヌスは帝になり、ここに帝政ローマがスタートする。 この時代も、ギリシア美術を継承した彫刻が多数作られたが、単に美しさを追求したものから、先祖崇拝の役割も付加されたことで、写実的な作品が増えた。 〜キリスト教美術〜 時代がくだり392年。 それまで異端とされていたキリスト教がローマ帝国で国教に定められた。 一神教のキリスト教が国教となったことは、すなわちギリシアの神々が異端になったことを意味する。 そんなわけで、美術の題材も必然的にゼウスやアフロディーテからキリストに変わることになるのだが。 この後、4世紀後半から2世紀に渡って起こったのがゲルマン人の大移動だ。 ゲルマン人はローマ帝国にも流入。ローマ帝国は東西に分裂し、やがて西ローマ帝国は滅亡。ゲルマン人の国家が乱立する。 ゲルマン人は移動の多い狩猟民族なので、彫刻があっても邪魔なばかり。 そんなわけで、キリスト教美術の発展は、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)で発展していくことになる。 キリスト教美術の特徴は二次元であること。 これは従来、彫刻(三次元)で表現されていたギリシアの神々と差別化を図ることで、文字が読めない人でも「これはキリスト教だ」と認識させることにあった。 もう1つ、色づかいが決められている点も挙げられる。 哲学者プラトンの「神は光だ」という考え方を取り入れ、聖人を描く際は、ルビーやエメラルド、サファイヤといった輝く色を使っているのだ。 こうした東ローマの美術は西側にも伝播。12世紀フランスの華やかで美しいゴシック様式へと発展する。 ノートル・ダム大聖堂に代表されるゴシック様式は、フランス王の威厳を見せるため、そして人々がキリスト教により魅了されるように作られたこともあり、豪華絢爛なものだ。 ゴシック様式の成立過程ははっきりしており、面白いのだが、その話は別の機会に譲るとして。 総括すると、この頃までの美術は、文字を読めない一般市民たちにもキリスト教の教えをビジュアルで伝えることに重きを置いたものと言える。 それが変化してくるのが15世紀頃。いよいよルネッサンスの時代が到来する。 〜ルネッサンス時代〜 13世紀後半、イタリアは十字軍への協力の結果、経済的な発展を遂げる。 結果、富裕層が台頭。金を趣味にまわす余裕ができたことで、美術品の収集を始める。 彼らはキリスト教関連の美術以外、つまりギリシア時代、ローマ時代の美術品を収集しだしたのだ。 そして15世紀。 都市国家として独立していたイタリアで、ミラノ公国の大公が、自身を古代ローマ皇帝に見立て、イタリア征服を目論む。 こうしてフィレンツェがミラノと戦うことになるのだが、その際、フィレンツェの人々が国民の士気を高めるために利用したのが美術(などの文化)だった。 自分たちと同じく都市国家だった古代ギリシアのアテネがサラミスの海戦でペルシアに勝ったことにあやかり、ギリシア・ローマ時代の文化を再生しようとする。 この再生運動こそがルネッサンスだ。 当時、キリスト教徒であった彼らは、「ギリシア・ローマ時代は、キリストが生まれる前の時代なので、キリスト以外の神々を信仰していたのはしょうがない」という論法で、ギリシア・ローマ時代を肯定。 キリスト教と異端の神々を共存させることに成功。(キリスト教人文主義) さらに天国でも地獄でもない場所・煉獄という概念により、異端信仰における"あの世"についても落としどころを見出したのだった。 ……というわけで、駆け足だが、「ルネッサンスって何だったのさ?」という話でした。 さぁ、シニョリーア広場が見えてきた。 次へ (2013/11/03) |
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