Mr.Win's Room

Mr.Win's Room

Home / Profile / Music Works / Essay / Report / Kyushu


とりあえず、お父さん

 

2016年1月23日(土)午前12時30分開演      
会場:梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ

作:アラン・エイクボーン
上演台本:藤井清美
演出:綾田俊樹

グレッグ:藤原竜也
ジニィ:本仮屋ユイカ
シーラ:浅野ゆう子
フィリップ:柄本明



【ストーリー】
薄給で働く、保険外交員の青年グレッグ。彼はひと月前のパーティで出会ったジニィにぞっこん。
今では、彼女の部屋で朝を迎えるようになっていた。

結婚を意識するグレッグだが、彼女の部屋には過去につきあっていた年上の彼氏の痕跡がちらほら。
元彼の影がちらつき、気が気でないグレッグ。だが、そんなグレッグをジニィはとりあおうとしない。

ある週末の朝、両親に会うために実家へ行くと言って、ジニィが外出。
ジニィの両親に挨拶して、結婚を認めてほしいグレッグは、彼女には秘密で、タバコの箱に記されていた住所、バッキンガムシャー、ロウアー・ベンドンの1へ向かう。

一方、バッキンガムシャー、ロウアー・ベンドンの1では、フィリップとシーラの夫妻が、お互いの不貞を疑いながら、朝のひとときを過ごしていた。

そこにジニィを追い越し、グレッグが到着。
夫妻をジニィの両親だと思い込んだグレッグは、フィリップに「ジニィと結婚させてほしい」と切りだす。

だが、実はフィリップこそがジニィの元彼だった。おまけにフィリップは、グレッグのことをシーラの不貞の相手だと勘違い。そこにジニィも現れて……。

誤解がさらなる誤解を招き、大騒動が巻き起こる!(プログラムより)

【客入り】
満杯。年齢層は30〜40代を中心に全世代。

【感想】
出演者を見て早くからチェックしていた劇ですが、物凄い人気でチケットが手に入らず半ば観劇は諦めていました。
ところが運よく追加販売でチケットが入手でき、4列目の中央ブロックという良席で観ることができて良かった!

作者のアラン・エイクボーンは、イギリスの喜劇作家で、本作は60年代に書かれた初期代表作の1つです。
スティーヴン・ジョーゼフからの「人を笑わせる作品を書いてほしい」との注文によって書かれた内容は、自らと恋人の結婚を認めてもらおうと、彼女の両親を訪ねたはずが、実は彼女の元カレの家。
しかも、元カレとその妻も、お互いに不倫を疑っているため、"結婚を認めてください"という言葉の意味を違う内容に解釈し、それがさらなる誤解を生み……という誤解が誤解を生む展開に。

ジニィの家でグレッグが目を覚ますところから始まった一部は、元カレの存在を感じとり探るグレッグと、それをかわそうとするジニィ、両親のところに一緒に行こうとするグレッグと、それを必死で止めるジニィの応酬。

序盤は、結構テンポが速く、大笑い、というよりはグレッグとジニィの関係性を理解する面が強かったかなぁ。
アラン・エイクボーン自身は、自分とニール・サイモンの違いについて、「(彼(ニール・サイモン)は、笑いを呼ぶセリフが非常に多いが、私の場合はセリフではなく文脈で笑いを取る」という主旨のコメントをしています。
一部はまさに、後半の笑いのための準備。

藤原竜也さん演じるグレッグからは「彼女の嘘に薄々気づきつつも、一気に結婚までこぎつけようとする気のいい好青年」、本仮屋ユイカさん演じるジニィからは「美女だけど魔性の女というより、その場しのぎ感が漂う言い訳が、性格の良さを感じさせる女の子」という印象を受けました。

続いて二部は、フィリップとシーラが暮らすバッキンガムシャーの自宅庭。
……なのですが、舞台が明るくなった瞬間、思わず笑ってしまいました。柄本明さんがあまりにも純和風すぎて、どうみても熱海あたりの旅館の番頭にしか見えなかったので(笑)

あれでフィリップは無理がありすぎです。権造とか茂助の方がしっくりきます。
無理にイギリスの設定を使わずに、ジニィの家は東京、フィリップとシーラが暮らすのは、熱海……が近すぎるなら、徳島あたりという設定でもよかったんじゃないかなぁと。
その場合は、グレッグ⇒裕二、ジニィ⇒結衣、シーラ⇒祥子といった具合でしょうか。

で、その権造……もといフィリップは、妻の浮気を疑いつつ庭仕事へ。
シーラが1人でいるところに無邪気な青年グレッグが登場。
結婚をあっさり認められて拍子抜けするグレッグと、噛み合わないまま、しかし親しげなムードなシーラが面白い。

その親し気なムードに、フィリップが登場して、グレッグを妻の不倫相手と勘違い。やり取りする中で発した「(シーラが親ほど年上の男とも不倫していたと勘違いし)その爺さん、やるな」と呟いた辺りは爆笑が起こっていました。

(勘違いながら)70過ぎの爺さん相手に「やるな」と絶句するフィリップの表情、(文脈を知っているゆえの)「いや、フィリップ。お前だよ、お前」というツッコミの相乗効果もあって、グレッグとフィリップの応酬以降は爆笑が何度も。

その後、遅れて登場したジニィは、グレッグがいることにビックリ。
彼女がグレッグに、フィリップをお父さんだと説明、さらに「シーラは実の母ではない」というから、自体が余計ややこしくなります(=笑いが生まれます)

そんなこんなで勘違いの連鎖が楽しい後半の末、最後にシーラが自体の全容に気付きます。
これがまたひょんなところからで、その伏線も一部にあるのがまた面白い。
グレッグにスリッパを荷物につめさせたのは、単純にその場だけの笑いを取るためではなかったんですね。

アラン・エイクボーンの言うところの「この芝居で皮肉なところ」というシーラが全容に気付く瞬間と、グレッグとジニィがいなくなったあとのフィリップとシーラの空気感と、最後まで目が離せないお芝居で100分ほどのお芝居でしたがあっという間でした。

※アラン・エイクボーンや彼の発言はプログラムを参照しました

copyright1
(制作:木戸涼)

(C) 2001-2024 copyrights.Ryo Kido