本満寺

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京都御所の北端からさらに寺町通りを北に上がるとあるのが本満寺。(阿弥陀寺より少し南側)
ここにあるのが、尼子の忠臣・山中鹿之助の墓です。

山中鹿之助(本名・幸盛。通称も正式には"鹿介"が正しい)は、戦国時代、中国山陰地方で勢力を誇った尼子氏の家来として、代々家に伝わる三日月の前立付きの兜をかぶり、毛利家との戦いで有名を馳せた豪傑です。
毛利家が勢力を拡大し、尼子家が衰退する中で月に向かい「七難八苦を与えたまえ」と祈り、主家再興を願ったというエピソードは芝居でもよく取り上げられています。(戦前の教科書でも取り上げられていたようです)
僧侶になっていた尼子国久の孫・勝久を還俗させて擁立し、尼子の遺臣たちを率いて毛利家に反旗を翻し、基本的には織田家に従属しながらの主家復興を目指すも最終的には失敗。毛利家に捕まり護送される最中に謀殺されました。



境内に入り奥の墓所へ。少し歩いて右側にあるひときわ大きな墓が山中鹿之助の墓です。
手を合わせてフト思ったのですが、なぜ彼の墓が京都にあるんだろう?
確かに京都に潜伏していた時期はありますが、正式な墓は鳥取にあるので、この墓の中には何が!?
本満寺は祈願成就で有名な寺のようなので、願掛けのエピソードで有名な鹿之助の墓ができたのでしょうか。……ただ、彼の願いは実現しなかったんだけどなぁ(汗)





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