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特集・大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」と玉名

 

2019年の大河ドラマは「いだてん」。
「オリンピック」をテーマに、近現代が描かれること、宮藤官九郎さんの脚本で「あまちゃん」スタッフ陣が制作することで話題になっている。

主人公の1人は、日本人初のオリンピック選手となった「日本のマラソンの父」金栗四三だ。
彼の出身地は熊本県玉名郡。
地元では、2019年1月の放送開始にあわせ、大河ドラマ館、金栗四三ミュージアムを1年間開館し、金栗四三を記念したマラソン大会も開催されている。
「がまだせ!熊本!」というわけで、このページでは、金栗四三ゆかりの地や、玉名市の名所を紹介したいと思います。

1. 金栗四三とは?
2. 「いだてん」と「金栗四三」ゆかりの地
3. 玉名市その他のスポット
4. 近隣のスポット
5. 「いだてん〜東京オリンピック噺(ばなし)〜関連リンク


1. 金栗四三とは?

オリンピックに初めて出場した日本人選手・金栗四三は熊本県・玉名で生まれ育った。
幼い頃家から12kmも離れている玉名北高等小学校まで毎日駆け足で通っており「すっすっ、はっはっ」と呼吸を"吸う"・"吐く"2回ずつやると楽だと気付いたという。
また特待生になるほど頭がよく、実家では四三専用の2畳ほどの勉強部屋があった。

その後、教師を目指し東京高等師範学校(現筑波大)に進学したが、ここでドラマが起こる。
40kmを走ったことがなかった金栗(当時20歳)はストックホルム五輪の国内予選で、非公式ながら当時の世界記録を27分も上回るタイムをたたき出したのだ。
それも、シューズではなく足袋。しかも途中で破けたため、脱ぎ捨てはだしで走ってのタイムであった。
「自分ごとき山猿が……」と最初は代表を固辞した金栗であったが、恩師の説得もあり出場を決意する。

こうして勇躍ストックホルムへ。
屋外競走対策として、厚い布を底に縫い付けて耐久性を高めた足袋(東京の足袋屋「ハリマヤ」による特注)を履いて走る日本人に他国の選手も興味津々だったそうだ。

しかし猛暑で死者まで出たストックホルム大会。(選手68人中34人が脱落し、うち1人が死亡)
四三は中盤で意識喪失し「途中棄権」となった。
民家で介抱された金栗は、現地では「消えた日本人」として話題になっていたという。

「日本人は体力が不足し、技量も未熟だ。粉骨砕身して技を磨き、必ず雪辱を期す」

途中棄権後に金栗が書いた言葉だ。

こうして日本のマラソンを底上げするために、彼は様々なアイディアを出していく。
例えば「駅伝」。1917年、京都−東京間の「東海道五十三次駅伝競走」の企画に参加し、出場。3年後には「箱根駅伝」開催を実現させる。
駅伝の開催には、"マラソンは孤独な競技ゆえに、個人練習では限界がある"という金栗の考えがあった。

トレーニングでも、東京高等師範学校時代に富士山に登った際、息切れする頂上の辛さがマラソン後半と似ていることに気付き、高地トレーニングに目覚めたという。
オリンピックの暑さ対策として千葉県の北条海岸を走る、水分補給の重要性を認識するなど、理にかなったトレーニングも確立していった。

だがストックホルムから4年後のベルリン大会は第1次世界大戦の影響で中止。全盛期の金栗はその実力を五輪で見せることができなかった。
続くアントワープでは16位。最後のパリ五輪では再び途中棄権。

世界相手に見劣りしない実力を持っていた金栗だが、五輪での結果は決して輝かしいものではなかった。
だが、上記した底上げ策の他にも金栗は日本マラソン界に多大な貢献をしている。

例えばランニングシューズ。
「ハリマヤ」とのランニングシューズ研究はオリンピック後も続き、ゴム底を張り合わせて耐久力を増し、足袋の留め金を紐で締めることで、足への負担を軽減した「金栗足袋」を開発。
金栗自身もアントワープ、パリでは、金栗足袋で出場している。
また1953年ボストンマラソンでは、金栗足袋の山田敬蔵選手が優勝している。

こうして長年、マラソンに貢献してきた金栗のもとに、東京五輪から3年後。1通の手紙が届く。
スウェーデンオリンピック協会からであった。手紙にはこう書いてあった。
「ストックホルムオリンピックの55周年国際親善行事に、日本人初のオリンピック選手・金栗さんを招待したいです。現地ではリラックスして過ごせるようお約束します。是非お越しください」(要約)

そこにはこうも書かれていた。
「この手紙を書いておりますスウェーデンオリンピック協会の経理部長であり協会の幹部会役員の私は1964年東京オリンピックの開会式直前にあなたにお目にかかりましたが、覚えておいででしょうか。
思い出しますに1912年にも私は貴下にお目にかかりましたが、55年後にまた、ストックホルムオリンピック競技場で貴下を歓迎できますことは、まことに嬉しく存じます」

こうして再びストックホルムに訪れた金栗。
レース途中で「消えた日本人」による半世紀以上ぶりのゴールという特別な催しを大観衆が見守る中、コート姿の四三はトラックをゆっくりと走って、両手を挙げてテープを切った。
「日本の金栗、ただいまゴールイン!タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」

今後も破られることはないであろう五輪マラソンの最遅記録。
文字通り「人生はマラソン」である。比喩でもなく、本当に一心不乱にマラソンに情熱を燃やした半生であった。

四三はユーモアを交えこう答えた。「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、6人の子供と10人の孫ができました」
なおこの訪問で、四三は、55年前に自身を介抱してくれたペトレ家も訪問している。

その後も、地元・熊本を中心に健康マラソンや、四三宅訪問マラソン(玉名市)などに協力。
また「日本人の体力や体格の向上には、母親となる女性の理解が欠かせない」と女性スポーツの促進にも尽力した金栗四三は、1983年、92歳の生涯を終えている。

2. 「いだてん」と「金栗四三」ゆかりの地

「いだてん」大河ドラマ館

金栗四三翁居宅

金栗四三翁の墓

金栗四三の像(新玉名駅)

金栗四三の像(旧制玉名中学 現・県立玉名高校)

玉名市立歴史博物館こころピア

金栗四三翁の生家

金栗四三ミュージアム

3. 玉名市その他のスポット

玉名駅周辺

 鳳樹楼(官軍本営)跡

 繁根木八幡宮(含・稲荷山古墳、補陀落渡海の碑)

 西郷小兵衛戦死の碑

 櫻井又吉翁頌徳の碑と菊池川のハゼ並木

 同田貫刀鍛冶の墓

玉名温泉街〜こころピア周辺

 疋野神社

 西南戦争・官軍墓地

 龍造寺隆信の首塚

 伝佐山古墳

 豪潮建立宝篋印塔

 高瀬藩陣屋地跡(藩邸跡)

菊池川周辺

 高瀬地区と目鏡橋、俵ころがし、船着場跡

天水町 (玉名駅からバスで30分!文豪・夏目漱石の名作「草枕」ゆかりの地)

 前田家別邸

 前田案山子の墓

 草枕交流館

 草枕温泉てんすい

4. 近隣のスポット

荒尾市 (玉名駅から電車で20分!中国革命の父・孫文の朋友・宮崎滔天ゆかりの地)

 宮崎兄弟資料館・生家

 宮崎家累代の墓・宮崎八郎の墓
いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜 (NHKの番組オフィシャルサイト)

NHKドラマ ドラマトピックス いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜 (NHKのトピックコーナー。イベント情報も)

熊本日日新聞・くまコレ内 金栗四三コーナー (熊日、全国紙の金栗四三関連記事集)

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