メモ1. 水炊きの歴史 水炊き、かしわ飯、焼き鳥など鶏肉の郷土料理が多い福岡。 福岡で鶏料理が盛んになったきっかけとして、 @長崎街道を通じ、カステラやボーロ、玉子素麺など鶏・鶏卵を使った南蛮菓子や南蛮料理が伝わったこと A福岡藩が財政再建策の一手として鶏卵を藩の専売品として大阪方面に出荷・販売すべく養鶏業を奨励したこと B宮崎安貞が「農業全書」で養鶏を奨励し、貝原益軒も「養生訓」で"医食同源"を提唱。滋養食として鶏肉を推したこと C長崎街道を通る朝鮮通信使やオランダ人への饗応で鶏肉需要があったこと などが挙げられます。 こうした背景に加え、外国種の導入や品種改良も行われた結果、福岡では鶏を丸ごと調理する食文化が生まれました。そして様々な鶏肉・鶏卵料理が食べられるようになり、幕末の頃には、福岡藩内では客をもてなすための料理として鶏肉料理が定番になっていたようです。 その後、明治38(1905)年、福岡市に「水月」という水炊き専門店が開業します。 店主の林田平三郎は香港でイギリス人宅の住み込み料理人として働き、ヨーロッパや中国式の鶏のスープ料理を学んだ人です。 彼はこうした経験から、澄んで豊かな味のスープの水炊きを提供したところ、行列ができる人気店に。 その5年後には、これも福岡市内に「新三浦」が開店。遊郭が、帝国大学誘致の影響で風紀改善のため商売替えしたもので、"芸者が接客する料亭"という形態での営業でした。 これらの成功を踏まえ、後に大衆向けの水炊き専門店も開業。福岡を代表するグルメとなりました。 上述した「水月」や「新三浦」は今も営業しており、福岡の食文化を支えています。 参考文献: 福岡における水炊き店発展の歴史(中村哲、甲斐論) 福岡の鶏肉・鶏卵の食文化誌 江戸期・筑前国福岡藩領を中心に 福岡地方史研究.2015, vol.53 近世筑前国福岡藩領の鶏肉・鶏卵の食文化誌(竹川克幸 宗像市史研究 創刊号) |
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