Mr.Win's Room

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蜘蛛女のキス

 

2002年10月19日(土)午後2時開演       
会場:ベニサンピット

作:マヌエル・プイグ
演出:ロバート・アラン・アッカーマン、薛珠麗
翻訳:吉田美枝
モリーナ:山本亨
ヴァレンティン:北村有起哉



【ストーリー】
ブエノスアイレスの監獄の暗く閉ざされた監房。素晴らしい男と永遠に暮らすことを夢見ているホモセクシュアルのモリーナと、社会改革を任務としている若き活動家ヴァレンティン。空想の中でしか生きられない男と常に現実を変えようともがく男。
モリーナの語る映画のストーリーを媒介として衝突をくり返すうちに、しだいに歩み寄り、そして深い愛の存在に目覚めていく。
だが彼等を待っていたものは・・・。(パンフレットより)

【客入り】
20代から高年齢層までバラけていた。176の客席が、ほぼ満杯。

【感想】
マヌエル・プイグはアルゼンチンの小説家。1932年生まれで、当初、映画監督を目指すが、作家の道に進んだ人です。
"蜘蛛女のキス"以外には、"赤い唇"や"リタ・ヘイワースの背信"、"この本を読む者に永遠の呪いあれ"、"報われた血の愛"といった著作があります。

さてこの日は、どうしても大学に行かなければならない用事があったため、開演後5分ほど遅刻しました(涙)
ただしおおまかなストーリーは知っていたので、舞台の状況は最初から分かりました。
一部は2階席、二部は1階席と違う場所から観たのですが、違う角度から観ることが出来たので、それはそれで良かったです。

ホモ・セクシャルの男の人は、女性でない分、意識的に女性的であろうとするので、本当の女性よりも女性らしいというか(←ややこしい・・(^^;))母性的であろうとするように思います。
牢獄という薄暗い場所、しかもヴァレンティンは革命家たりえんとするような人ですから、モリーナのような人間に惹かれてゆくのは分かる気がします。
暗さで顔が見えない分、余計にそうなのかな〜と。

一方で、モリーナが愛する相手は、第一に周りから変人扱いされる彼を愛してくれる母親で"ヴァレンティンから政治活動の秘密を聞き出せば釈放する"という所長の言葉にノった時は、その"愛する母親"のもとに早く行くというのが目的だったと思います。
ところが途中から、興味が愛情に変わる中で、モリーナはヴァレンティンを守ろうとしていきます。
これは"恋愛感情(?)"が"家族愛"を上回ったと言えるんじゃないでしょうか。

北村有起哉さんのセリフはよく聞こえます。
腹痛のシーンでも妙に元気であまり痛く無さそうだったのは違和感がありましたが、それ以外は徐々にモリーナに惹かれてゆく様子が伝わりました。
ただ、私は前半の方が緊迫感が感じられました。
で、それは多分ヴァレンティンがモリーナに好意を持つのが早かったからじゃないかな〜と思うのです。
そのことが、2人が寝た理由がはっきりとしなかったことに繋がるのかな〜と。
あの段階で、ヴァレンティンはかなりモリーナに好意を持ち本気でモリーナと寝たようにも感じるし、政治活動の仲間のためにモリーナを利用しようとしたようにも感じるわけです。

以前、市村正親さん(モリーナ)と宮川浩さん(ヴァレンティン)が演じられた時は、今回は無かったシーン(モリーナがヴァレンティンに「愛している」と叫びながら、所長に撃ち殺されるシーン)があったようで、この時は、モリーナとヴァレティンが寝る段階ではまだ、ヴァレンティン→モリーナの愛は薄く、あくまでも利用するために寝た(そして、クライマックスになって、モリーナへの愛が最高潮になった)のが明確だったようです(聞いた話なので、あくまでも予測ですが)

でも今回のラストの感じでは、ヴァレンティン、モリーナ共にお互いの未来が見えているようで(そして蜘蛛女は男を絡め取るモリーナのことで)やっぱり2人が寝たのは、愛ゆえだったのかな〜と……いや、寝たから愛が進行した?ん〜、やっぱり分かりませんでした。
ただし、ヴァレンティンがモリーナを"蜘蛛男"でなく、"蜘蛛女"と考えたのは、大きな変化だと思います。

山本亨さんのモリーナは、ホモというよりオカマっぽい印象を受けたので、もう少し艶っぽい方が良かったと思いますが、これは単に素人の私が感じただけなので、大したことじゃないかも。

ところで、原作者のマヌエル・プイグというと、ウォン・カーウァイ監督が、インタビューで称賛していました。
「今まで一般に香港の映画や小説では、何かを説明する、教える、ということに専ら重点が置かれてきた。でも僕はそれには満足出来ない。むしろ、どのように説明するか、どのように語るか、というところに関心があるんだ。何かを説明することも大事だけど、それをどのように語っていくか、その語り方自体も重視しなければいけない。これは、マヌエル・プイグの小説を読んでいて気付かされたんだけどね。特に、"赤い唇"。例えば、「蜘蛛女のキス」なんかよりははるかに優れている」

まぁ、最後の一文で、こういうことを言っていますが、ホモ・セクシャルの愛を扱った彼の作品に"ブエノスアイレス"があるのも偶然ではないような気がします("蜘蛛女のキス"もホモ・セクシャルが登場して、しかも、場所はブエノスアイレスだし)

話を戻しますが、パン・ケーキと紅茶(だったと思う)を引っ繰り返す場面の後、ヴァレンティンの態度が急に穏やかになったのが、心情の変化を非常に分かりやすくしたと同時に、もう少し暴力的な部分が続いても良かったんじゃないかなぁとも感じました。


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