かもめ
2002年1月29日(火)午後2時開演 会場:新国立劇場・小劇場 作:アントン・チェーホフ 演出:マキノノゾミ 英訳:マイケル・フレイン 翻訳:小田島雄志 衣装:三大寺志保美 アルカージナ:三田和代 トレープレフ:北村有起哉 ソーリン:山野史人 ニーナ:田中美里 シャムラーエフ:坂本あきら ポリーナ:塩田朋子 マーシャ:洪仁順 トリゴーリン:益岡徹 【ストーリー】 裕福な地主の娘ニーナは、芸術の革新を夢見て作家を志す恋人のトレープレフが書いた前衛的な脚本に女優として出演した。 ソーリン家の庭で演じられたその舞台を、トレープレフの母親で女優のアルカージナとその愛人で流行作家のトリゴーリンも観ていた。 芝居は失敗したが、ニーナはトリゴーリンに惹かれ、女優になるため彼を追ってモスクワへと旅立つ。 2年後、ニーナはトリゴーリンに捨てられながらも女優への夢を諦めきれず旅回りの一座に身を置いているらしい。 再びソーリン家を訪れたアルカージナとトリゴーリン。 そして、今や世間の注目をひくまでになったトレープレフがひとり書斎で原稿を書いている前に、ニーナが突然姿を現す。 【客入り】 圧倒的に高年齢層が多い。若い世代はちらほらいた程度。 【感想】 "嵐が丘"観劇から2日後に観たのが本作。 本作は、「チェーホフ魂の仕事シリーズ」という企画の第一弾で、この後、"くしゃみ"(これも観た)、"「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語"、"ワーニャおじさん"、"櫻の園"という4作品が上演される予定が決まっていました。 話題性は無かった企画・作品ですが、個人的には、上演を知った時から楽しみにしていました。 それというのも、当時の私は、チェーホフ作品を結構読んでいたから。 なので、まずはアントン・チェーホフ、そして本作"かもめ"について書きます。 チェーホフは、ロシアを代表する劇作家です。 とりわけ晩年の四作品"かもめ"、"三人姉妹"、"ワーニャ伯父さん"、"桜の園"は、それまでに無い斬新な形の戯曲でした。 チェーホフ作品の特徴は、ぱっと見、"何も起こらない"こと。 つまり、ドタバタ事件が起こるでもなく、語られるのでもなく、ただひたすらに日常生活が描かれます。 しかし、その生活の中で、舞台上のキャラクター達の内面に変化が起こるのです。 舞台が淡々と進行する中で、キャラクター達が、どんなことを考えているのか。彼らの心情がどう変化しているのか。 それを読み取るのがチェーホフ作品の観方だと、私は思っています。 "かもめ"も、そんな作品の1つで初演は1896年。 しかしこの時は、大失敗に終わっています。 ペテルブルグのアレクサンドリンスキー劇場で、観客の失笑を見たチェーホフは「僕はしくじった」と呟いたそうです。 ショックから「劇場の戯曲はもう書かない」とまで言ったそうですが、しかし、2年後。 モスクワ芸術座の旗揚げ公演の1つとして上演された際は、今度は観客にも受け入れられ大成功を収めます。 1898年12月17日。スタニスラフスキーが演出した"かもめ"の初演は観客の大喝采をもって受け入れられ、作品の評価は一気に上がりました。 さて、話を2002年に戻しましょう。 本作は、新国立劇場の小劇場、前から2列目、しかも両隣が空席(!)という、ほぼ最高の条件で観劇することが出来ました。 これもチケット発売日に並んだお陰です(たまたま別件があったからなのですが。。) 上述したとおり、チェーホフ劇には明確な事件があるわけでもなく、主人公もいません。 今回の"かもめ"も色々な人物が登場します。 大女優の息子であること、芸術に革新をもたらすこと。あらゆることに対して生真面目なトレープレフ。 女優になることを夢見てトリゴーリンを追ってしまうニーナ。 息子や愛人に対して、そして自身が大女優であることに対して悩むアルカージナ・・・。 それぞれに葛藤があります。 ゆえに、1人を追うのではなく、舞台全体を眺める心地よさがありました。 こじんまりとした舞台の雰囲気も、私の好みとピッタリ合っていたのだと思います。 各役者さんも素晴らしかったですが、特に北村有起哉さんの口の動きが良かった。 しゃべる時の口の表現が大きく、そこにトレープレフらしい生真面目さがにじみ出ていて、悩む様子に共感していました。 まぁ、心地よい・・・といっても、悲劇的な幕切れを迎える作品ですし(トレープレフは自殺します)、その心地よさ故か、右側に座っていたおじさんは、途中で寝ていましたが(笑) 後に、本作の演出について、「目新しいものが無い」という評論を読んだのですが。 "チェーホフ・魂の仕事シリーズ"第一弾なのだから、"かもめ"という作品を素直に紹介している点は、私は好感を持ちました。 チェーホフ作品は、最近では全く観ていないのですが、機会があればまた観たいですね。 |
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