エッセイ17 存在感 学校や職場など、どんな場所にでも、なんとなく注目される存在感のある人物というのはいるものだ。 それは非常に優秀であったり、その逆だったり。物凄く可愛かったり、その逆だったり。 中には明らかにアブノーマルな髪型や服装をしていて、その辺を歩いているだけで人目を引くような人もいる。 だがその一方であまり注目されない、いわゆる「存在感の薄い人」というのがいるのも事実である。 以下は、私が小学生だった頃の話。 小学校の休み時間に体育倉庫の掃除という役割があった。 運動場用のライン引きや、サッカー・ボール、バスケット・ボールなどが保管されている倉庫の掃除だ。 ある日、私は、同じクラスのT君、Oさん、そして「と〜ちゃん」と共に、体育倉庫の掃除当番になった。 「と〜ちゃん」というのは、別に「父ちゃん」のことではない。 存在感が薄く、透明人間のようだったので、「と〜ちゃん」というあだ名を持っていた少年である。 今にしてよくよく考えてみれば「君は、存在感が無くて透明人間みたいだから、と〜ちゃんってあだ名だよ」というのは、かなり残酷な宣告だ。 小学生は純粋すぎるが故に、時としてこういう無邪気な悪魔になる。 話を戻そう。他の小学校がどうだったか知らないのだが、私の小学校に関して言えば体育倉庫掃除の当番というのは非常に嫌なものだった。 何故なら、倉庫の中は薄暗い。 更に石灰の煙が漂っているので「ゲホゲホ」とムセかえる羽目になる。 しかも掃除しなければならない箇所が意外と多く、疲れる (その上、またすぐに汚れるのでやりがいが無い) したがって誰もが「いかにして手を抜きながら、一生懸命掃除をしている演技をするか?」に注力するわけだ。 虚虚実実の駆け引き。気分はまさに三国志。 まずは、誰もが一番楽なバスケット・ボール拭きのポジションを狙う。 バスケット・ボールは、縫い目が無い分、サッカー・ボールよりも拭きやすいためだ。 もっとも、中には最初から2番目に楽なサッカー・ボール拭きの確保に走る人もいて、この辺に子供ながらの人間関係も絡んだりする。 その日も私たち4人は揃って「あ〜あ、嫌だな〜」と思いつつ、真面目にやれば10分程度で終わる掃除を30分程かけてようやく終えた。 「あ〜やっと終わったよ〜」と思いつつ、私、T君、Oさんは、倉庫の外から鍵をしめ、教室に戻った。 さて、休み時間も終わり、午後の授業が開始した。 国語の授業が始まって、先生が一言、 「あれ?A君(と〜ちゃんのこと)、今日は休みだっけ?」 そう。この時、と〜ちゃんは、体育倉庫の中に閉じこめられていたのだが、彼のあまりの存在感の無さに、私もT君もOさんも、一緒にいたということすら忘れていたので、 「休みじゃないですか?」 と言ってしまった。 先生も名簿で出席をチェックすれば良いのに、 「あっ、そう」 と言って、授業を再開してしまった。(クラスの誰1人として、彼が学校に来ていることを覚えていなかった!) で、放課後。 体育倉庫の方から、泣き声ともわめき声とも判別し難い叫びが聞こえる。 教頭先生が「何事か?」と思って鍵を開けて中を見たところ、 涙で濡れた部分に、石灰がつき、パンダのような顔になっている、と〜ちゃんがいた・・・。 と〜ちゃんを見た瞬間、!!!!……固まる、私、T君、Oさん。 「そうだ!一緒に掃除してたんだ!!」 その時になってやっと思い出しました。 その後、我々3人は先生に叱られました。 すご〜く叱られましたよ。と〜ちゃんが出席してたかどうか忘れてた先生に。 まぁ、叱られたのは良いとして、と〜ちゃんには本当に悪いことをしたなぁと、何年も経った今でも反省しています。 ……ただ、あまりにも存在感の無かったと〜ちゃんの本名を忘れてしまったのが悲しい。 |
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