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イタリア縦断 ボブ・ディランとイタリア芸術探訪の旅 vol.34

Basilica di Santa Croce(サンタ・クローチェ聖堂)

フィレンツェ探訪もいよいよ次がハイライトにして最後の建物。
最後に訪れるのは、Basilica di Santa Croce(サンタ・クローチェ聖堂)だ。



ここにはイタリアの偉人たちの墓がある。それもミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ロッシーニなど錚々たる顔ぶれだ。
言うなれば、幕末好きにとっての霊山護国神社のようなものである。

結論から言ってしまうと、今回訪れたあらゆるスポットのうち、最も気に入った場所はこの大聖堂だった。
建物そのものの美しさ、サンタ・クローチェ広場界隈の美しさ、偉人たちを偲ぶ厳かなムードもあるが、とりわけ気に入ったのが夕暮れ時の中庭だった(下の方に写真あります)

歴史的には、何度も改修を重ねたのは他の聖堂と同じで、14世紀頃完成したらしい。
"聖"堂として列された後も、増改築は続き、時に洪水にも襲われたこともあったようだ。

まずは聖堂のステンドグラスを見て欲しい。なんとも美しい。
薄暗い照明や、色合いもあって、周囲の絵画も落ち着いた印象を与えてくれる。



その他の壁画も総じて、落ち着いた調和をしており、観ていて神聖な気分になった。









では偉人たちの墓碑を見てみよう。
まずはガリレオ・ガリレイ。言うまでもなく偉大な科学者だ。
望遠鏡を手にしている。



20代の頃、家族でフィレンツェに住んでいた彼だったが、後年には異端審問所審査で有罪を受け、亡くなるまでフィレンツェに戻ることを禁じられた。
その業績、名声は今でこそ誰もが認めるところだが、当時は一般人の理解を追い越している点もあり、晩年は不遇だったようだ。
それにも関わらず、失明してもなお、口述筆記で活動を続け、振り子時計を発明している。

そして、ミケランジェロ。



既に何度か書いているが、彼もまた波乱に飛んだ生涯の末、晩年に失明しながらも、自身の名声を確立したテーマでもある"ピエタ像"に取り組んでいる。
彼は生涯何度かに渡ってピエタ像に取り組んでいるので、ライフワーク、原点といっても良い作品だったのかもしれない。
本人も、自分の命が長くないことを悟っていただろう。それでも腰が曲がり、手探りになってもなお、彼はピエタ像に打ち込んでいた。

ミケランジェロにせよ、ガリレオにせよ、亡くなる直前まで己の道を前進していたのだ。
信念と言っても良い。ガリレオは科学者として、ミケランジェロは彫刻家としての意地と愛情をもって前進した。

ダンテもまたそんな1人だ。



彼も、生きている間、フィレンツェに戻ることができなかった。
しかし、自分の生きた証、そしてベアトリーチェへの愛の証として、放浪の末、ラヴェンナで「神曲」を完成させた。
その全てが完成したのは、亡くなる直前だったという。

自分を貫くため、大事を成すために、多くの犠牲を払いながらも前進を継続することの大切さをイタリアの偉人たちは教えてくれる。
塑像を前に、そんなことを考えながら、深く頭を垂れた。

不思議なことに、この地に墓を持つ偉人たちは不遇な晩年を迎えた人が多い。
上述の3人以外にも、例えば、「君主論」で有名なマキャヴェッリも晩年は政権追放で失意のうちに死去している。



他にも様々な墓碑を観終わった後、中庭へ。
この夕暮れ時の中庭を見て欲しい。



なんと美しいことか!これは、旅で出会った光景の中でも、特に気に入っているものだ。
すっかりこの大聖堂が気に入った私は、結局、閉館時間ギリギリまでこの地にいた。
この場所に来れて、本当に良かった。


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(2013/11/06)


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