Mr.Win's Room

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カリフォルニア ボブ・ディランとビートニク探訪、そしてオープンマイク出演の旅 vol.4

Good morning from San Francisco!
San Franciscoで初めての朝を迎えた今日はライヴまではずっと市内散策ができる。
結局、昨晩は27時30分頃まで盛り上がり、朝は9時30頃出発。まずはビートニク&ロックの旅の続きから。
ホテルを出てMarket Streetを歩く。空は本当に青い。
Van Ness Streetの交差点南西側に大きなHのロゴ、San Franciscoと書かれた青色のホンダの路面店がある。
この光景から昔を偲ぶのは難しいが、1960年代、この場所にFilmore Westがあった。



1968年頃、ここでグレートフル・デッドのロン・ラコウ、ドクター・ジョン、セロニアス・モンクといったアーティストが共演していたが、後にビル・グレアムがイベントを取り仕切るようになり、ホールの名もカルーセル(回転木馬)からFilmore Westへと改称。
1968〜1971年の3年間でジャニス・ジョップリン、ザ・フー、レイ・チャールズ、エリック・クラプトン、アレサ・フランクリン、CCRなど沢山のアーティストが演奏をしている。San Franciscoの中心部から歩いてこれる場所なので、ライヴ会場にはうってつけの場所。夜もふけた頃、ここからHaight Ashburyの方に繰り出して……なんて光景もあったのだろう。

そこからVan Ness Streetを北へ2ブロック上がると1968年、ケネディ大統領の葬式の日にアレン・ギンズバーグ、マイケル・マクルーア、ジョー・ウェルチなどがポエトリー・リーディングを行なった会場・ナース公会堂だった場所がある。



ここは翌年、舞台"Paradise Now"が上演された場所でもある。出演者たちは全員、エデンでの無垢を表現して衣装を脱ぎ去った場所でもある。
その出演者の1人が、後にステージで公然猥褻罪で逮捕されたドアーズのジム・モリスンだ。
そうか。ここでもジム・モリスンは脱いだのか……ってどんな感慨なんだ(汗)

次に向かうのはVan Ness StreetとMcallister Streetの角にある建物。
ここ戦争記念会館の中には、かつてSan Francisco Museum of Modern Art(サンフランシスコ近代美術館)があった。
現在、美術館は3rd Streetに引っ越しているが、この地に存在していた1952年、ある詩人がリーディング・イベントを行なっている。
それがディラン・トマスで、彼にとってもサンフランシスコで初めてのリーディングだった。
昔、ボブ・ディランは、「その名前をディラン・トマスから取ったのでは?」と聞かれることがよくあったようだが、これを明確に否定している。
ただ、同じディランということで、ファンとしては嫌でも覚えてしまう詩人だ。



なお戦争記念会館の並びにはOpera Houseもある。



ここは1951年にサンフランシスコ講和条約が調印され、戦後、ようやく日本の主権が連合国に正式に認めた場所だ。
今回オペラは観ることができなかったが史跡としても重要な地なので撮影してみた。
この一角には綺麗な建物が並んでおり、横にはSanfrancisco City Hallがある。
夜、ライトアップされている光景が非常に美しく、昨晩のボブの公演後に撮ったのがこの写真だ。



さぁ続いてはFilmore Streetの方まで歩こう。
Filmore StreetはSan Franciscoの中でもお洒落なムードがある。ふらりと立ち寄った帽子屋で気に入ったものがあり購入。値段に円高を実感する。

Geary StreetとFilmore Streetの角にある建物はかつてFikmore Auditorium(フィルモア公会堂)だった場所で、ビル・グレアムは1966〜68年の間に沢山のロック・コンサートを行なった。
今回のボブの公演会場名、それにここまでのスポット(や、この後登場するスポット)で分かる通り、San Franciscoを歩けば、ビル・グレアムという人物がいかに大きな存在だったかが分かる。簡単に彼の足跡を振り返ってみよう。

ビル・グレアムは1931年、ドイツ生まれのユダヤ人だ。
第二次大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人迫害から逃れるため、家族は散り散りになり、10歳にしてアメリカに孤独な亡命をしたという壮絶な経験をしている。(彼の母は、ナチスにより毒ガスで殺されている)
ニューヨークで施設に入れられ里親に引き取られたビルは、10代の頃、ジャズやラテンに熱中していたようだ。
その後、軍隊経験を経て、接客業、俳優修行、それに舞台の裏方などに手を出し、プロモーターとして頭角をあらわすようになる。
彼は数々のサイケデリック・イベントを興行として成功させ、Filmore発のアーティストを台頭させ、そして日の当たらなかった黒人ブルーズマンたちにステージを用意した。
その頃にはロック界有数の人物となっており、モンタレーやウッドストックといった野外イベントが成功したのも、彼がアドバイス、さらには経験豊かなFilmoreのスタッフを派遣したところに拠る部分が大きい。
その後も、ストーンズのツアーや80年代最大のチャリティ・イベントとなったライヴ・エイドなど大イベントを取り仕切っており、表に出ずとも、裏で大きな貢献を果たした。まさに仕掛け人と呼ぶに相応しい人物だ。
そんな彼が仕掛けた中で、私が最も好きなイベントの会場がこの近くにある。
だが、移動する前に、今しばらくこの地で、過去に、もう1人別の男に思いを馳せよう。

Lenny Bruce is dead but his ghost lives on and on
Never did get any Golden Globe award, never made it to Synanon
He was an outlaw, that’s for sure
More of an outlaw than you ever were
Lenny Bruce is gone but his spirit’s livin’ on and on


これはボブ・ディランのアルバム"Shot Of Love"に収録された曲"Lenny Bruce"の一節だ。
レニー・ブルースはアメリカのスタンダップ・コメディアン(お笑い芸人)だ。黒人客を前に黒人差別用語や卑猥語を言うなど、偽善性を排除し、現実を冷酷に吐き出す芸風、横っ面を引っぱたくような芸風は、政治や社会のタブーにも切り込み過ぎたがゆえに警察との軋轢を生むことになる。
言論闘争にのめり込み、法廷での様子までも芸に取り入れていくレニーに対し、徐々に客の足も遠のき、裁判では有罪判決が言い渡される。
常用していたドラッグの影響もあり心身疲れ果てた彼は、やがてバスルームで全裸で亡くなっているのを発見されるという破滅的な最期を迎えるのだが。

そんなレニーの生涯最後のパフォーマンスが行なわれたのも、ここフィルモア公会堂なのだ。
晩年のレニーは、止まることが出来ない過激、破滅へと進んでいたはずだ。だからユーモラスというよりも痛々しさすら伴う様子で、法廷をこき下ろし、客を罵倒するかのように痛烈な言葉を並べていたのだろう。

人には、止められれば止められる程にやりたくなる反発心が多少なりともあると思う。
レニーにしても、最初は客に受けるための毒舌だったのだろう。それが反響を生み、反抗も生み。権力に止められる程に、そこへの反発心が働き、自分でも止められなくなってしまったのではないだろうか。
過激さは真実を伝えるための手段であって、それ自体は目的ではない。だが熱狂を生むにつれ、過激であること自体が目的になり。それでも過激さの対象が社会の様々なテーマである内は良かった。しかし、最終的に過激さの攻撃対象が法廷闘争に集中した時、観客も飽きてしまったのだろう。

これ以上は要らない。その芸風はもう十分だ。

そう思われたことをレニーも感じたのかもしれない。だがブレーキは存在しなかったのだ。
この場所が澄み切った青空の下、温かい場所にあったこと。それはせめてもの救いだったのかもしれない。
レニーに興味がある方は、1974年の映画"Lenny"で彼の生涯が描かれ、ダスティン・ホフマンが主演しているので、そちらをご覧いただきたい。



最後の地がある一方で、その近く最初の地もある。
Filmore Streetを1ブロック下り、O'Farrell Streetを右折すると正面に公園が広がっている。
この公園の一角にかつてあったのがラバウト・ギャラリーで、1947年4月にマデリン・グリーソンがここで行なったコンテンポラリー・ポエトリー・フェスティバルがアメリカで初めてのポエトリー・フェスティバルと言われている。
今では子供たちが遊び、老人が眺めるような長閑な光景だがここにはかつてギラギラとした詩人の情熱があったのだ。



さぁここでビル・グレアムの話に戻ろう。
彼が仕掛けた中で、私が最も好きなイベントの会場。それはあるバンドにとって、最初の地であり、最後の地でもある。
Steiner Streetを少し北に上がり、Post Streetとの角に1985年まで存在したロックの聖地の1つ。それがWinterlandだ。
現在、高級アパートメントが建っているこの場所は、1969年にザ・バンドが初めてのコンサートを行なった地であり、1976年にラストワルツとして有名なラストコンサートを行なった地でもある。
映画"Last Waltz"でのボブ・ディランの演奏は凄まじい。
"Baby Let Me Follow You Down"は1stアルバムからは想像できない力強いロックンロールとなり、Hazel、I don't believe you、Forever Young、Baby Let Me Follow You Donwのリプライズまで息もつかせない名演で、歴史的な演奏と呼ぶに相応しい内容だ。
勿論、他の出演者たち、それにザ・バンドの演奏も素晴らしいもの。
先日亡くなったリック・ダンコを追想し、"The Weight"を聴いた。
今や跡形もないが、Post Streetを眺めると、ラスト・ワルツを生で観て満足して帰る観客の様子を想像することができた。





さぁ今日のビートニク、ロック巡礼の旅はここで終わり。
あとは少しばかり東の方に進もう。Japan Townが見えてきた。





日系人が多数いるこの一角。かつてはビートニクの集まるスポットもあったようだが今では全く面影がない。
日本語がいたるところにあり、なんとなくホッと(?)する反面、異国感が感じられず微妙な気分にも(汗)



微妙といえば、このDVD&Videoショップ。左上から3つ目のポスターに見覚えのある顔が。その名もズバリ「不況はつらいよ」!
……え?なんかタイトル違くないか!?

……ま、いいか。


さぁ!気を取り直してここからは美術館へ!
San Franciscoの美術館というと、一番有名なのはSan Francisco Museum of Modern Art(サンフランシスコ近代美術館)だと思うが、今回行くのは逆方向。
Golden Gate ParkにあるM.H.De Young Memorial Museum(デ・ヤング・美術館)だ。
実はここでMuseum of Modern Art in New York(ニューヨーク近代美術館)にあるウィリアム・サミュエル・ペイリー(CBSの最高責任者だった人)のコレクションが展示されているという事前情報を得ていたので行くことにした。
勿論、場所的に帰りにヒッピーの聖地・Haight Ashburyと、その近くにあるAmeba Record(大手レコードショップ)に行ってみたいという狙いがある。

アップ・ダウンのある道を歩き西へと進む。私は歩くのが好きなので、そして歩くのが速いので苦ではなかったが、普通の観光ならバスに乗るのをおススメする。Japan TownからGolden Gate Parkだと数kmはある距離なので。

Golden Gate Parkに着くとまず植物園があり、その奥に美術館と科学館が並んでいる。







植物園は、どうやら原始時代に生えていた植物、恐竜の模型などが置いてあるのだが正直おいてあるのは草ばかりで規模もショボイ。
おまけに暑苦しいので、興味がなければ行かないで良いと思う。

さて、美術館へと向かうと、いくつかの銅像がある。
まず見えるのが、「国を救った演説家」と言われる説教師、トマス・スター・キングの像だ。



この人、南北戦争の時、カリフォルニア州で北部(奴隷反対派)を熱烈に支持し、リンカーンに「カリフォルニア州が別の共和国になることを妨げた者」と認められた凄い人なんだそうだ。



さぁ着いた!ここがM.H.De Young Memorial Museum(デ・ヤング・美術館)!
最初に展示室の別棟に行ってみる。ここの最上階からはSan Franciscoが一望できるのだ!



遠くに海も見える。綺麗な光景。ここまで歩いて来て良かったと思う一時。

そしてウィリアム・サミュエル・ペイリーのコレクション展会場へ。
この時つけていたメモを失くしてしまったので詳細を書けないのだが印象派からエ・コール・ド・パリまで様々な展示があった。
エ・コール・ド・パリはピカソが中心で残念ながらキスリングの作品はなかった。が、展示会全体としてはセザンヌあり、ゴーギャンありと楽しめました。

美術館を観終わり、そのままHaight Ashburyへ。





フラワームーブメントの発信地の1つだが、ここで入りたかったのが上述したAmeba Music。
お目当てはポスターや書籍だ。正直言ってCDやレコードについては日本も充実している。ただ書籍やポスターについては日本(そしてamazonでも)未発売のものが多いので、この機会で何か買えれば!というのが狙い。
この店は入り口で鞄を預けてから入り、まっすぐ進んですぐ右側に書籍コーナーがある。
見ると60年代ロック関連の本もあるわあるわ。
中でもVelvet Undergroundに関する書籍も色々とあって、日本語訳された本も多い。
そんな中から、"Seeing The Light"という本があったので購入。
2010年までの活動を網羅しているという点が決め手。写真集的ないい本もあったが、さすがに全部買うと持ち帰りきれないので断念。
続いてはポスター。
こちらも色々とある。Bob Dylanについては1961年Folkloreでの演奏告知ポスターのレプリカがあったので、これも購入。

CDは予想通り、正規版だけ&日本のレコード店の方が充実しているため特に購入せず。
さぁもう夕方。ホテルに戻ろう。
そして今晩もBob Nightの開幕だ!!
(続く)

(2012/10/18)



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