Mr.Win's Room

Mr.Win's Room

Home / Profile / Music Works / Essay / Report / Kyushu


カリフォルニア ボブ・ディランとビートニク探訪、そしてオープンマイク出演の旅 vol.1

10月17日。小雨が降る午前8時。
今日から初めてのアメリカ、初めてのカリフォルニアへの旅が始まる。
今回のテーマは「ボブ・ディランとビートニク探訪、そしてオープンマイク出演の旅」だ。
今年後半にまとまった休みが取れるメドがついたのは6月頃のこと。去年のロンドン旅行に続きどこに行くか?と考えた時、真っ先に浮かんだのがボブ・ディランの海外公演に行くことだった。
ボブは80年代後半から世界中で年間100公演以上のコンサートを行っている。2010年に来日した後もツアーは続き、最近はステージでピアノを演奏しだしたという情報も入っており、「変化し続けるボブの現在を観たい」という気持ちが何よりも強かった。

その時点で決定済みだったボブのスケジュールは9月まで。タイミング的に行けそうなのは9/6のNew York州Lewiston公演からPennsylvania州Hershey公演までの4公演あたりだったが、公演地ごとの距離が大分遠く、コンサート以外の時間は殆ど移動に充てることになる。
幸いチケットがすぐに完売することもなかったので、10月以降のスケジュールが出るまで待っていたところ、10/17からCalifornia州San Franciscoで2公演、そこからすぐ近くのBerkeleyで1公演、さらには州都であるSacramentoで1公演という移動しやすい予定が組まれていた。
よし、これに行こう!気候も良い西海岸。そしてSan Franciscoといえばビートニクやヒッピー文化のお膝元!
ボブを追っかけると共に、ビートニクやロックンロールゆかりの地にも行ける!
そしてせっかく音楽の盛んな場所に行くのだから、是非とも現地のライヴハウスにも出演したい。
そんなわけで、気分は高まるばかり。航空券を手配し、荷物を揃え、さぁ出発しよう!


12時前に伊丹空港に到着し、チェックインを済ませる。今回は成田空港経由でSan Francisco International Airportに着陸する行程。
伊丹空港で6万円ほどドルに換える。伊丹空港では1Fの本屋かコンビニで100$ごとにドルが買えるが、8000円台で買えることに円高を実感する。同時に旅が始まることも実感。
何事も問題なく成田に到着するも、San Francisco行きの便が機材持ち込みの遅れで搭乗時間が若干遅れるとのアナウンス。
予定を遅れること30分、17時すぎに搭乗開始。機内TVでドアーズのHollywood Bowl公演を観る。
今回は行けないが10/26にはボブもHollywood Bowlで公演を行う。そこまでにセットリストは大分変化するだろうか。そんなことを考えながら初日のスケジュールを確認。午前中にSan Franciscoに着くのでホテルにチェックインするまでは、まずビートニク探訪だ。
ジム・モリスンが"Unknown Soldier"を歌う途中で眠りに落ち、機内で朝を迎える。朝食を食べて11時前にはSan Francisco International Airportに到着!
まずは入国審査。"Next!"と呼ばれパスポートやESTAの確認。そして両手10本指の指紋採取。その後、旅の目的を訊かれたのでこう答える。
"Sight seeing....and to see the concerts of Bob Dylan!"
すると審査員が笑顔になり一言"Good!" 旅の出だしは順調だ。

エスカレータを上がり、BARTのSan Francisco International Airport駅へ。
BARTはSan Franciscoと対岸のOakland、Bay-Area間を海底トンネルで結んで走る電車だ。
空港からレンタカーあるいはバスを使わない限り、大体の旅行者はここから市内へ移動することになる。
"地球の歩き方"に書いてあった通り、券売機にドル紙幣を入れ、購入金額を調節し切符を購入。
表示された行先や金額を選ぶ日本やイギリスと違い、自分で購入額を入れるタイプは初めて。些細なことだが、こういうことでアメリカに来たんだと実感する。
日本よりも若干広めの車両に乗り込み、窓から外を眺める。空港を離れるとまず目に飛び込んでくるのは広い大地と車道。
まもなく昼を迎え、照りつける太陽の明るさに気分も明るくなる。
1駅目のSan Bruno駅で乗り換えてPowell Street駅に。気をつけたいのは同じホームに違う行き先の電車が来るということ。
San Bruno駅はRichmond行き、Pittsburg / Bay Point行き、さらにはカルトトレインも止まるため間違って乗ると全然違う場所に着いてしまう。
なのでホームにある"Train Schedule(時刻表)"で乗る電車を確認の上、電光掲示板の行先を確認すればバッチリだ。



Powell Street駅に着き街に出ると賑やかな喧噪が聞こえてくる。



沢山の人の足音、大統領選について熱い演説を行いビラを配る人、サイレンを鳴らして疾走するパトカー。
ここからまず向かうのはSan Francisco最大の観光地、Fisherman's Wharf。
市内を走るMuni MetroのFラインに乗り、さぁ北へ!
路面電車が動き出し、街を眺める。う〜ん、結構走ってるなぁ。
…。……。あれ?今、どの辺まで着いたんだろ?
「地球の歩き方」によるとMuni Metroでは車内アナウンスが全然ないらしい。このため、時折、運転手がアナウンスする通り名で、どの辺りを走っているか確認するようだ。
う〜ん。。Muni Metroが混んでて、地図が全然開けません(・∀・)
ま、でもFisherman's Wharfは終点の方だし、景色を追っていれば分かるでしょう。

というわけで、30分ほどゆられて着きました。Fisherman's Wharf。



蟹のマークがお出迎え。さすがは観光スポット!観光客だらけだよ。……私もだけど。
ただ観光客の大半が水族館(Aquarium of the Bay)やAlcatraz Islandに向かう中、目指すのは別な場所。
それは海岸沿いに西に向かって歩いたところにある。
目的地に着くまで街を歩き、港から海を眺める。





あ、Alcatraz Islandだ。
……行きたいなぁ(汗)
普通にメジャーな観光スポットに寄りたい気持ちもあるが、色々と回るタイトなスケジュールなので、監獄で有名なAlcatraz Island(アルカトラズ島)には行く余裕がない。今回は残念だが断念。港から見るだけで満足としよう。

ちなみに歩く間、通りには沢山のシーフード売り場やレストランが。機内食を食べてしまったためお腹が空いておらず、「最終日にもう1回来ればいいや」と思い、東へと急ぐ。そして数分後着きました!最初の目的地はここ!!



この公園がAquatic Park(サンフランシスコ海事国立史跡公園)だ。
ボブ・カウフマンが亡くなった時、仲間の詩人たちはこの場所から小舟に乗り、サンフランシスコ湾に出て彼の遺灰をまいた。
また56年に若き日のアレン・ギンズバーグが安ワイン片手にこの場所で撮った写真もある。





ボブ・カウフマンは"黒いランボー"、"オリジナル・ビー・バップ・マン"とも称された黒人のビートニク詩人。
シンコペーション)の効いた生涯は貧しさや警官との軋轢など、まさにビート=打ちひしがれた人というのが相応しく、本来の意味でビートニクな人。
シンコペーションというのは、粗く説明すると、たとえば四拍子のリズムは通常「3強-弱-中強-弱」という音の強さになるけれども、この2つ目の弱が強になるなど、リズムにアクセントがつくこと。
ポエトリー・リーディングをする際に、彼が作った詩は非常にリズミカル。たとえば"The Poet"という詩はそんな1つだ。


この海をボブ・カウフマンもアレン・ギンズバーグもボーッと眺めたことがあるに違いない。

さぁ、では次のポイントへ。
Beach Streetを東に歩くと大きな石像が駐車場の入り口で手を広げている。
この像はイタリア生まれの建築家、ベニアミーノ・ベンヴェヌート・ブファーノが造ったもので、元々はNorth Beachの聖フランシス教会の正面玄関に設置されていた。
しかし61年に教会から取り外され、ショッピングセンターの宣伝道具になり、港湾局が買い取って現在の場所に設置されたという経緯がある。
教会にあった時はボブ・カウフマンの詩のモチーフになっていた像が、観光客で車をお出迎え!というトホホな状態に苦笑しながら眺めてみてください。(しかし、この像に興味がある観光客なんてあんまりいないんだろうなぁ)



そのままBeach Streetを進むと、道沿いにLongshoremen's Hallを見つけることができる。
1964年に、数年に及ぶ日本生活から帰ってきたゲイリー・スナイダーを讃えるために開かれたイベントをはじめ、数多くのポエトリー・リーディングが行なわれた場所で、ビル・グレアムはグレイトフル・デッドやビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーなどが出演するサイケデリック・コンサートを開いた。
あたかもLSDの体験会場のようなヒッピー文化の発信地だったこの場所も、現在は関係者専用の休憩所となっており、中に入ることは禁止されている。
ちなみに哲学者のエリック・ホッファーはこの建築に携わった労働者の1人なのだそうだ。



ゲイリー・スナイダーは、自然をテーマにした詩で知られている詩人であり自然保護活動家。(現在も健在)
ピューリッツアー賞を受賞した代表作の詩集「亀の島(ネイティブ・アメリカンが北アメリカ大陸を呼ぶ時の呼称)」では、小気味よく韻を踏んで自然を讃美している。
60年代から環境問題に警鐘を鳴らしてきたというのは凄いし、10年以上京都に滞在して禅を学んでいたことから、日本にも大変縁が深いビートニクだ。
自給自足し、持続可能な自然と共生するという考えは、武者小路実篤と通じる部分がある。
またジャック・ケルアックやウィリアム・バロウズは、人間的には、近づきたくない危ない奴らだが、その点、ゲイリー・スナイダーは良識的な人間という印象を受けていたりする。

エリック・ホッファーも凄い人。農園での季節労働者をやりながら図書館で物理学、数学、植物学、ドイツ語などマスターし、後にカルフォルニア大学バークレー校の研究員になりながらも、その職を辞して自由に生きたという、これこそ理想的なビートニク。
ビートニクってドラッグやら反体制やらのイメージが強いけれども、個人的には「自由に"自分にとっての幸せ"を探求しよう。それを抑圧するようなおかしな法や価値観にはしっかりと異議を唱えよう」というのが根底にある主張だと思う。
そういう意味で、60過ぎまで沖仲仕の仕事を続け、自分に最適な生活のリズムを見つけていたエリックは、完璧なビートニクじゃなかろうか。

そしてグレイトフル・デッドにビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー。
ジャニス・ジョップリンもこの辺は庭みたいなものだったんだろう。

次はChestnut Streetまで南下し、左へ。
数ブロック歩くと、幼稚園がある。
"The Berat Generation"で小さな納屋のような建物と書いてあるのが、恐らくこの建物(左右の建物の住所から、555Chestnutはこの建物だと推定。人がいなかったので確認はできなかった)。
これが、Telegraph Hill Neighborhood Centerが入っていた建物で、1973年9月4日にここでリーディングを行なったのがトム・ウェイツ・ファンにはお馴染みのチャールズ・ブコウスキーだ。
彼はシャイで、緊張をほぐすためにステージ上に置いた冷蔵庫からビール瓶を出しては飲み、飲み終わると観客席に投げ入れた。
観客席からは、ステージに瓶を投げ返すという応酬が行なわれ、最後にブコウスキはシティ・ライツ・ブックスから出版した、この日読まれた本"Erections, Ejaculations, Echibitions, and General Tales of Ordinary Madness"を観客席に投げ入れることでステージを終わらせたという。



次にChestnut Streetを戻り、Jones Streetを越えて急な坂を上ると途中右側にSan Francisco Art Instituteがある。



綺麗な白い門をくぐると庭があり、学生たちが写生をしている。





校舎にも少し入ってみよう。
絵画が飾ってあり、通路を進むと、地下では彫刻の制作が行なわれていた。





ヨセミテ公園の写真で知られるアンセル・アダムス、抽象画家のマーク・ロスコやクリフォード・スティルなど多くの芸術家を輩出したのがこの学校。
いかにも開放的なムードなのが印象的だった。

今度はChestnut Streetを坂の下まで戻り、斜めに走るColumbus Streetの角へ。
そこにはLa Roccaというアメリカンバーがあるが、この2階に住んでいたのが女性詩人のジョアン・カイガー。
1957年からの2年間、彼女はここに居を構え、デパート内の本屋で働きながら夜な夜なNorth Beach界隈で詩人たちとの交流を楽しんでいた。
彼女は、詩人たちに会うと"Hi, Kids"と呼びかけたという。
2年後、彼女はこの地を去り、ゲイリー・スナイダーを訊ねて日本に上陸。2人は結婚することになる。
ちなみにバーの中には昼間も客が沢山。野球中継を見ながら盛り上がっていた。





さぁ、次のポイントに向かおう。
(続く)

(2012/10/17)



copyright1
(制作:木戸涼)

(C) 2001-2024 copyrights.Ryo Kido