ロンドン ブライアン・ウィルソン、ロイヤルオペラ&ブリティッシュ・ロック探訪の旅 vol.2 London calling! 只今、ロンドンは朝6時30分。 いよいよ始まったロンドン、ブリティッシュ・ロック探訪の旅。そして今晩はブライアン・ウィルソンに久しぶりに会える! フロントのおじさんにモーニングコールされるまでもなく朝早く目が覚めたのは興奮?それとも単にいつも通りの体内時計? どっちだっていい。いよいよロンドンの街を散策だ!というわけで、今日目指すはPiccadilly Circus。ロンドン市内でも一番の繁華街。 旅に出る前、ロンドン滞在中に行きたい場所(ロックンロール・プレイス)をリストアップし、市内地図に目印をつけていたのだけど。その中でもPiccadilly Circus界隈にはやはり多くのスポットが集中。 そこで考えたのが、時間に余裕がある16日、17日、19日にそれぞれPiccadilly界隈、遠出して見たい2箇所に行き、ロイヤルオペラハウス⇒ブライアン3日目とタイトな19日にRegent's Park、Abbey Roadなど北西部を周るというプラン。 まずはロンドンに慣れる意味もこめて、スポットが集中しているPiccadillyからというわけです。 予定通り7時すぎには宿を出て、Oval駅へ。今日は色々と移動するだろう……というわけで券売機で買ったのは1日乗車券(エリア1-2間)。 ロンドンの地下鉄は結構値段が高く、何度か乗るなら1日乗車券を購入した方が割安。1週間乗車券もあるけれど、実質使うのは4日間なので1日乗車券×4回にした。 Piccadilly CircusにはElephant&Castleで乗り換えてBakerLoo Lineですぐ。 あっけなく着いて地上に出て……あった!エロスの像!日本で言うなら渋谷のハチ公みたいなもの。 朝早くだけど結構な人がいました。 まさにロックンロールの旅のスタート!最初に向かうのはロンドンの中華街、Gerrard Street。 ここには、準備した地図でエロスから一番近いロックンロール・プレイスがある。 それが、レッド・ツェッペリンが初めてリハーサルをした場所だ。 ヤードバーズの最後のギタリスト、それにセッション・ミュージシャンとして活躍していたジミー・ペイジが新バンドを結成すべくロバート・プラントと出会い、そのプラントと旧知のジョン・ボーナムを強引に誘い、スタジオで顔なじみだったジョン・ポール・ジョーンズを引き入れ、さぁ演ってみようか!と初リハーサルをした場所こそ、Gerrard Streetにある現在はパン屋さんの地下なのだ。 1曲目に演奏されたという"Train Kept A Rollin'"を聴きながら地図を見て歩く。え〜と、こっちが北のはずだからGerrard Streetは……。あれ?近くのはずなんだけどなぁ、見つからない。……こんな道載ってないぞ? ここで気付いたのだけど、僕が持っている地図はかなり大雑把なもので、実際には細かい通りが沢山ある。そういえば地球の歩き方にも、「ロンドンに行ったら、まずA to Zという市内マップを買うと良い」って書いてあったなぁ。 ロンドンにおける住所というのは、基本的に通りと番地が書いてあり「あとはその辺を探してね」という具合の結構大雑把なもの。 A to Zというのは、市内のあらゆる通りが網羅された地図のことで、「地球の歩き方」によれば、雑誌売り場やコンビニっぽい店で買うことができるらしい。 よし、じゃあ早速コンビニっぽい店に行こう!と近くにあったそれっぽい店に入ってみた。 え〜と、雑誌コーナーはここか。……置いてないぞ?おかしいな〜。あ、レジに地図がある。 A to Z、A to Z……。ないな〜。でも、この地図も通りを網羅してるな〜。これにしよう。 というわけで、1冊地図を購入。早速見ると……あった、あった。Gerrard Streetはこの2つ先の通りだな。 地図を頼りに歩いていくと……あった!!日本から持ってきたガイドブック"Rockin' London"の写真を照らし合わせる。同じ場所だ! 紛れもなく、このパン屋の地下こそがツェッペリン伝説の幕開けとなった場所なのだ。 ……店だけ観るとあんまり感慨湧かないけど(汗) 頭の中で想像してみる。若々しいジミー・ペイジやらボンゾやらがPiccadilly Circusからここまで歩いてくる姿。そして階段を降りて地下のスタジオでブルーズを演奏している様子。 この辺をジョン・ボーナムも歩いていたんだなぁ、と思うとちょっとだけ興奮してきた。そんな興奮をさらに高めるため、次に向かうのはKu Bar。 Gerrard Streetの中華街をそのまま真っすぐ歩き、右手曲がって歩くとあるバーなのだけど。 こここそが、60年代はWhite Bear Pubという名前でストーンズが初めてリハーサルを行った場所! お〜、ストーンズ・ファンとしては俄然盛り上がってきたぞ! この場所でブライアン、ミック、キース、チャーリー、ビルがリハーサルをしたんだ!! BGMは"Not Fade Away"!"Come On"でもいいけど、やっぱり"Not Fade Away"の方が興奮する!! ブルーズハープを吹きまくるブライアン、格好付けてマラカス振りながらたまにジャッキー・ウィルソンを意識したような足さばきを見せるミック、まだあか抜けないキースのギター、まだ多少動きのあったビル、この頃からクールなチャーリーの姿が確かに頭に浮かんだ。 休憩時間にはブライアンがミックにブルーズハープを教えたり、キースにスライドギターを教えたり。そんな光景があったんだろう。 現在、ここでは主にレゲエやジャズのライヴが繰り広げられている模様。 さて、Ku Barから数分北の方に歩くと次の目的地が見えてきた。 Frith StreetにあるRonnie Scott'sだ。 ジャズライヴハウスとして非常に有名な店だが、生前最後の演奏をこの店で終えたギタリストがいる。 その人こそがジミ・ヘンドリクス!BGMは"Purple Haze"、そして"Hey Joe"に! 1970年9月17日。エリック・バードン・アンド・ウォーのライヴに飛び入り参加したジミ。 共演したのは"Tobacco Road"、"Mother Earth"。この時の音源が、You Tubeなどでもアップされているから凄い時代だ。 記録によっては、9月16日と書いているものもあるんだけど、どっちが正しいんだろう?どっちでもいいか。 とにかく、ギターの革命児のラストステージがここで行われた。 チャス・チャンドラー(アニマルズのマネージャー)に見いだされてイギリスに渡ったことで始まったジミのキャリア。そのキャリアのラストが、こんな格好いい店で行われたことに、なんかホッとした。 そうそう。もう1つこの店について忘れてはならないのがTom Waitsのイギリス初公演もここだということ。 当時、いかがわしい匂いに溢れていたこの界隈は、まさに酔いどれ詩人というイメージだったTomにピッタリ。素晴らしいステージで観客を虜にしたのだ。 写真を撮っている間、何人かの通行人がRonnie Scott'sの前で足を止め、スケジュール表を熱心に眺めていた。ここは現役のハコなんだ。 現役のハコがある一方、60年代当時に多くの伝説を作り、その後移転したハコもある。 次に向かったのは、ロンドンの中でもとりわけ伝説のライヴハウス"Marquee"の跡地。 Marqueeの歴史は1958年まで遡る。当初ジャズ・クラブとして出発したこのライヴハウスは60年代に入るとブルーズ・ミュージシャンも出演するようになる。 ブリティッシュ・ロックの父と呼ばれるアレクシス・コーナーもその1人だった。彼が率いるブルース・インコーポレイテッドにはチャーリー・ワッツ、そしてクリームを結成するジャック・ブルースなどが在籍。ブライアン・ジョーンズもコーナーのステージに上がり、それを観たミックやキースが近づいてストーンズ結成につながったという経緯もある。 その後、1964年に引っ越した第二期Marqueeではヤードバーズのデビュー作"Five Live Yardbirds"が録音されたり、ザ・フー、、デヴィッド・ボウイ、レッド・ツェッペリンなど錚々たるバンドがステージに立つ。 Ronnie Scott'sから西側に数分歩くと、この第二期Marqueeの跡地がある。今はSoho Lofts Apartmentとなっており、大きな玄関があるだけだが、耳をすませば"Five Live Yardbirds"の聞こえてくる。 まだロンドン市内の壁に"CLAPTON IS GOD"という落書きが書かれる前。青年クラプトンを含んだヤードバーズが黄色い悲鳴を受けるあのアルバム。 クラプトンも当時はアピールに必死。ギターが近年以上に性急だったりする。でもその分勢いがある。 その横ではキース・レルフはブルーズハープを吹きまくっている。ヤードバーズというとクラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと歴代のギタリストに注目が集まりがちだが、本来バンドの顔としてずっと在籍していたのはヴォーカルのキース・レルフ。 ただ、この人の人生には、なんとなく不幸なオーラが漂っている。ヤードバーズ時代はギタリストばかりに注目がいき、その後組んだバンド、ルネッサンスは彼の死後、メンバーを変えてから成功を掴んでいる。 一番悲惨なのは死因で、エレクトリック・ギターの演奏中に感電死という、なんというか踏んだり蹴ったり感が漂うアーティストだ。 もっとも、本人からすれば「俺は死んでから何十年経ってからも遠い日本のロック・ファンにも知られている存在なんだ。悲惨なんて言われるのは心外だ!」といったところかもしれない。感電死というのも、日本では山田かまちも同じような死因だったと思うが、こちらは悲惨というよりは"可能性を残しつつ夭逝したアーティスト"という評価を受けていると思う。(まぁキース・レルフが亡くなったのも33歳なので夭逝と言えるのだけど) そんなわけで、ロンドンまで来て……というか、ロンドンに来たからこそキース・レルフに思いを馳せつつ、朝っぱらからロフトの写真を撮影。 道行く人は「この人、なんでこんな所撮ってるんだろう?」という感じで不思議そうにロフトを眺めている。 「せっかくなんだから、ブループレート(有名人が住んでいた場所や歴史的な場所の跡地に付ける証明プレートのようなもの)を付けておけばいいのに」と思った。 さぁ次の目的地に向かおう。またまた数分したところにあるのがSt.Anne's Courtという細い通り。 見つけるのに結構時間がかかり、道行く人に何度か尋ねつつようやく辿り着いた。 道の一番手前にパブがあったり、細いながらもなんとなくお洒落なムードを漂わせるこの通り。 東京で言うなら、自由が丘の神戸屋キッチン(パン屋)横にある小道が近いムードだ。 さぁ、ここからは1968年7月31日のポール・マッカートニーの気分になって歩こう。少し行くと左側に、こんなプレートが見える。 「さぁ、着いたぞ。今日はあの曲の録音だな」と、スタジオに入るポール。 中には他のビートルズ・メンバーがいる。それに30名を超えるオーケストラメンバーもいる。 オーケストラメンバーに向かってポールが言う「今日は集まってくれてありがとう。今日演奏してもらう"Hey Jude"だけど、後半で合唱と手拍子する部分があるんだ。そこも手伝ってね。簡単だよ、"na~~~na..na..nananana~~~~Hey, Jude"って何度も励ますだけだから」 そして始まったレコーディング。リンゴはトイレで中座し、2番からドラムを叩くが、これが逆に良い感じに。 完成に満足したポールはジョンにこう言う「やっぱり8トラックあると便利だね。Abbey Roadだと4トラックまでしか録れないからなぁ」 というわけで、ビートルズが"Hey Jude"などを録音したのがこのTrident Studio。 撮影中、近くの店の人と、 「なんでこんなところを撮影してるんだい?」 「ここはビートルズが"Hey Jude"を録音したスタジオなんだよ」 「えっ!そうなの?長いことここにいるけど知らなかったよ!へ〜!ここで作ったのか!」 と、こんなやり取りもありつつ、しばし感慨に浸る。やっぱりこうしてスタジオが残っているとイメージもしやすいなぁ。 ちなみにこの時のBGMは、ビートルズのWhite Albumだった。"Martha My Dear"や"Dear Prudence"もここでレコーディングされた曲。 個人的には、"Hey Jude"よりも"Martha My Dear"の方が好きなので、そっちで40数年前に思いをはせた。 ポールもこのスタジオに思い入れがあるのか、すぐ近くSoho Squareの方向に歩くと彼の会社(音楽出版社)、MPL Communications Ltd.が見える。 1Fの受付っぽいところで女性が働いていた。ガラスばりの扉は鍵がかかっており、外観を撮影していいかどうか訊こうと思い、ノックしたが「今、仕事中なの」といった感じのジェスチャー。2Fにはポールに関連するゴールドディスクなど多数あるらしいので、ファンがよく訪ねてくるのだろう。 まぁ、外から撮っても問題はないだろう……ということで撮影したのが↑の写真。 ちなみに僕は、店の中だったり、関係者らしき人がいる場所では、なるべく撮影許可はもらっている。問題ないだろうとは思いつつも、揉めたら嫌なので。 さぁ、細かい道を色々と歩いた後は、一旦大通りに出よう!北に向かい、Oxford Streetに到着。 この大通りにもロックンロール・プレイスが多数あるが、現役で残っている場所といえば、なんといっても"100Club"! "Hey Jude"から時代を10年ぐらい進ませよう。1976年3月30日。 "ピンク・フロイドなんて糞だぜ!"なんていうTシャツを着たり、安全ピンを突きたてたりと尖りまくっていたジョニー・ロットンがあの語尾をフラットさせる独特の歌唱を引っさげ女王陛下をジョークにしてシャウトしまくる。 セックス・ピストルズの初ステージだ。50名ほどの観客にウケたバンドは、火曜日のレギュラー・バンドに。そして、9月20日、21日には"100Club Punk Festival"が開催される。 初日のメイン・アクトはセックス・ピストルズ。そして2日目はクラッシュ!スージー・アンド・ザ・バンシーズのデビューのこの時! まさにパンク・ロックの聖地。 BGMは、勿論"Anarchy In the U.K."、そして"London's Burning"! ロンドン直前のサマソニで観たジョン・ライドンを思い出す。今なお元気で衰えない歌唱力。 僕はジョン・ライドンのキャラクターが大好きだ。 世間からは不良、問題児、そしてキワモノ扱いもされたピストルズだが、フロントマンだったジョン(当時、ジョニー)は実際には常識的な感覚、優しさを持った人。 当時、ピストルズのスタッフで、ごく普通のビジネスマン・スタイルの服装をした人がいて「僕は、安全ピンよりもこのスタイルの方が良いんだけど」と言ったところ、「それでいい。無理にやる必要はないさ」と言ったり、病弱だった子供時代を支えてくれた母親に対し、自伝でも感謝を述べていたり。 その自伝"Still A Punk"で一番笑ったのが以下のくだり。 お袋は違う意味で手ごわい人種で、俺が買ったレコードを気に入っちまうんだ。お袋は2Fの部屋に上がって来て、強いアイルランド訛りで訊く。 「ねぇ、最近なにを買ったんだい?今さっき聴こえた歌が結構気に入ったんだけど」 「母ちゃんはこれ気に入らないと思うけどなぁ。これ、ホークウィンドのファースト・アルバムだぜ」 お袋は座り込んで、レコードを聴いて夢中になった。心底感動してたんだ。お袋はストゥージズの"ファンハウス"が大好きだった。自分の部屋で母親が"ファンハウス"を聴いてちゃ、反抗的少年になれないよ。 「ああ、ヤだ!早くこんな家から逃げ出したい」って思ったさ。 ジョンのパンク精神は遺伝だったのだ(笑) ジョンの持つ、ユーモア精神、その中に潜んでいるリアルな言葉は枚挙にいとまがない。 有名なのは、セックスピストルズのラストステージで言い放った「アハハ、騙された気分はどうだい?」、それにニール・ヤングが"Hey Hey, My My "で引用した「ロックは死んだ」という言葉。 でも個人的には90年代のピストルズ再結成時に言い放った「再結成の目的は金。金のためだよ」というのも挙げたい。 産業化したロックに対するアンチテーゼだったパンク。その代表格であり、伝説が肥大化していたピストルズに、自らとどめをさすような一言。 その後、落ちぶれたセレブが無人島生活をする、というバラエティー番組に出演し、ダチョウにお尻をつつかれるなど笑いを取りながらも、実は真面目にやるべきことはこなしている姿に人気再燃!コメディアンとして再評価されているというのもなんか良い。(その様子は、こちらのサイトに詳しい) そしてクラッシュ!ジョー・ストラマーも素晴らしいキャラクター。 パンクとは、シンプルに誠実に生きること。格好良すぎです。 ちなみに、ロンドン・オリンピックのテーマ曲が"London Calling"に決まったからか、ロンドンでは"London Calling!"と車体に書かれたタクシーが無数に走っていた。 さて、Oxford Streetをしばらく歩いて着いた。ここが100Clubだ。 ビルから出てきた煙草をくわえる女性がなんかパンクな感じで格好良い。このビルの地下が100Club。 この奥でセックス・ピストルズやクラッシュが白熱のライヴを繰り広げていたんだ。 さて、再び頭を60年代モードに。頭に響くのは"I Can't Explain"!モッズの発信地、"Carnaby Street"へ! モッズといえばやはりthe WHO!……というのはその通りなのだけど、レコードコレクターズ増刊号(The WHOの特集号)に、ピートのこんなインタビューが載っている。 いや、初期の俺たちはモッズでも何でもなかったよ、今もね。ファンの多くは確かにモッズだったけどな。当時ブームだったし、それに便乗するべくキット・ランバートが、俺たちをモッズとして売り出したんだ。本当の意味で、モッズの文化から生まれて成功をおさめたポップ・グループといえば、それはスモール・フェイセズだけさ。あいつらときたらデビューする前からすでにバリバリのモッズだったんだから、それに比べたら、俺たちは便乗組もイイとこさ (73年) まぁイメージ戦略だったにせよ何にせよ、モッズがthe WHOを愛し、そしてthe WHOがアイコンになったことに間違いはない。 そしてCarnaby StreetはSwinging '60sの象徴だった。3つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、デザートブーツ。そして英国空軍のラウンデル・マーク。 そしてスモール・フェイセズ。ロニー・レーンが亡くなってからもう14年も経つ。 僕がスモール・フェイセズを初めて聴いたのは1998年のこと。ストーンズの"Bridges to Babylon"ツアーが終わった直後だったから、3月下旬か4月上旬頃のはず。 ストーンズのロニーが以前所属していたバンドとして、まずFacesを聴き、その前身バンドというわけでスモール・フェイセズに辿り着いた。 聴いたアルバムは"Autumn Stone"。代表曲やレアトラックなどで構成されたベスト版で、僕が最初に好きになったのは"I Can't Make It"と"Sha-La-La-La-Lee"だった。 でも一番好きなのは、その後聴いた"I'm Only Dreaming"! スティーヴ・マリオット・メモリアルコンサートでポール・ウェラーが歌っていたバージョンも好き。ノスタルジックなイントロから一気に弾ける流れは素晴らしい。 正直なところ、1曲1曲の印象という意味では、WHO程強くはなかったのだけど、とにかく明るい勢いがある。これぞまさしくブリティッシュ・ロック!というムードに惹かれたんだと思う。あとはキーボードの存在も他のバンドとは違う味を出していた。(そういえばイアン・マクレガンが参加した"Real Live"の頃のディランのサウンド、僕は結構好きだ。あとストーンズの"Miss You"のキーボードもいい!) 実は未だにSmall Facesのオリジナルアルバムは全部聴いていないんだけど、余裕ができたら順番に聴いてみようかな。 話を戻してCarnaby!昼過ぎになり空はこれ以上ない晴天に。気持ちいい!……と歩いていたら見慣れた文字が目に入ってきた。 あ、無印だ。こんなところにあるんだ!すごっ!Carnaby Streetのど真ん中だよ! 思わず入ってしまいました。そして、普通に日本語のラベルが貼ってある生活用品が売っていることになんか感動。 「持ってくれば良かったなぁ」と思っていた日用品が色々とあったので購入。現地のお客さんも結構入っていて、それなりに盛況な模様。 でも、そんな無印にも売っていなかった生活用品が1つだけあるんだな〜。それが髭剃り。 ホテルにあるだろうと思っていたら無くて、探していたのです。紳士の国だから身だしなみはキッチリしたいし。 そんなわけで、鬚を気にしつつCarnabyをひとしきり歩く。正直なところ、アパレル店を色々と覗いている時は、渋谷で神南のセレクトショップを覗いている感覚でした(笑) そういえば、渋谷にあるマーガレット・ハウエルの本店ってロンドンなんだよな。併設のカフェは60年代ブリティッシュ・ロックがいつもかかっているので東京のお気に入りスポットの1つ。 Carnaby Streetを端まで見終わったところ、ドラッグストア発見!ここなら髭剃りあるかも、と思い店員さんに聞いたらビンゴ!電動タイプも手動タイプも置いてありました。 買ったらレジで、 君はこの近くに住んでるの? いや、旅行で来たんだよ。 そうか、今日は面白いことあったかい? 色々とロックンロール・プレイスを歩いて面白いよ。今も、面白いね。この辺、スティーヴ・マリオットも歩いてたんだろうし。 お!スティーヴ・マリオットを知ってるのか!そいつは嬉しいね! とまぁ、こんなやり取りもありました。 その後パブで一息。パブに入るのも勿論初めて。 なんちゃらバーガーとペプシを注文。バーガーでかっ! 食べていると、隣に座っていたお客さん2人が話しかけてきた。 どこから来たの? 日本だよ。 おう!ナカ〜タ〜!イナ〜モト〜! あ、サッカー好きなの? サッカー大好きなのよ! じゃあ、ホマレ・サワって知ってる? ワールドカップ・チャンピォンだろ! そうそう。じゃあ、アヤ・サメシマって知ってる? それもワールドカップ・チャンピォンのメンバーだな!ディフェンダーだろ? すご!!女子サッカーチームの、しかも日本チーム・メンバーのポジションまで知ってる! 稲本を知っているのは、彼がフルハムにいたからかな? さて、そんな話もしつつパブを出て、Carnaby Streetのすぐ近く、Kingly Streetへ。ここにポール・マッカートニーゆかりの地がある。 それが、ポールが最初の妻、リンダと出会ったクラブ"Bag O'nails"だ(現在は、会員制クラブの"Miranda"となっている) 丁度、ロンドンにいる間、ポールがまた再婚するという話を聞いた。 正直、もう止めとけばいいのに……と思うけど、まぁ余計なお世話だろうなぁ。 個人的には、リンダという最愛の人が亡くなったんだから、あとは独身でいて欲しかったと思ったりもする。 ロック界で一番上手くいってる夫婦って誰だろ?やっぱりTom Waitsだな。作品クレジットでも奥さんへの感謝を示しているし、家庭を喧騒には巻き込まないように努力してるし。 やっぱりトムは格好いい!……って、ここはポールの思い出の場所だったな。 頭の中では、"My Love"と"Michelle"をBGMに写真を撮る。なんか今日はポール関連の場所、結構多いな。 この後、一旦大通りのRegent Streetに抜ける。あ、Armani Exchangeだ。 Armaniはイタリアだけど、渋谷よりも大きかったので入ってみた。 Armani Exchangeはカジュアル向けだし、Armaniと違ってお手頃価格なので個人的には好き。デザインも好きなのが多い。 結局、気に行ったシャツがあり1着購入。う〜ん、なんかCarnaby StreetよりもRegent Street沿いの方が好みに合う店がある気が。。(笑) 次はRegent StreetからGreat Marlbourough Streetに。入ってすぐのところにあるホテルが60年代は裁判所だった場所。 この裁判所こそ、ブライアン・ジョーンズ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズが麻薬で捕まり裁判を受けたところなのです。 外観は当時のまま。確かストーンズのヒストリー・ビデオ"25×5"でも映っていたと思うんだけど、そうかぁ、ここで裁判受けたのか〜としばし感慨に耽る。 BGMはストーンズの"We love you"。 この曲は、裁判時に投獄された(その後、ミックは執行猶予、キースは上告の末無罪)時に、ファンがストーンズを励まし続けたことに感謝してストーンズがリリースした作品。 ミックとキースが"All you need is love"のレコーディングに参加したことへのお返しもこめて、ジョンやポールもヴォーカル参加している。 ちなみに、建物自体はかなり大きいので、全体を撮影しようとすると道路をはさむ必要がある。結構車の往来が激しい場所なので、撮るのに10分ぐらいかかった。 撮影が終わった頃、何故か白人の観光客に道を聞かれる。誰がどう見ても、僕も観光客なのだけど(笑) Oxford Streetへの行き方?あぁ、それなら簡単だ。北上して大きな通りに出れば良いだけ。 そうだ、僕もOxford Streetに用事があるんだった。今日、序盤に行った"Marquee"の跡地。あそこは第二期のMarquee跡地だったけど、ストーンズが出演していた第一期のMarqueeはOxford Street沿いにあるんだった。 大体の位置を手元の地図で確認し、ガイドブック(Rockin' London)を見る。写真と同じ場所は……あれ?ないぞ? 行きすぎたかな?でもこの辺なんだよな……と思い、何度も何度もグルグルとまわるも見つからず。同じところばかり30分近く歩く羽目に。。 おかしいなぁ。場所は合ってるはずなんだけど。人に聞いてみるも、「場所は合ってるけど、Marqueeって何?レストランか何か?」ってな回答ばかり。 その時、フト思った。もしかしたら、このガイドブックの写真、古いかも!? 実は何度もまわっている間、写真と似て非なる場所がOxford沿いにあった。 ガイドブックに書いてあるのは、Abbeyという赤い看板だけど、同じマークでSantanderと書いてある場所があった。もしかして社名変更したとか!? ぐるぐるとまわった何周目かで、Santanderの中に入り、2Fに上がる。社員の方にガイドブックを見せ、 すいません、この写真って、ここですよね? そうです。 名前が違うのは、写真が古いんですよね? そうです。当社は社名変更しましたから。 ビンゴ!!やっぱりここにMarqueeがあったんだ! ……ってことは、100Clubと随分近い場所にあるんだな。100Clubだけじゃない。他のライヴハウスも結構この界隈に密集してる。渋谷と一緒だな。 というわけでストーンズの気分に浸りつつ(といっても、建物が建物だけに、あまりムードはなかったのだけど)、次はどこへ行こう?と手元をフト見たところロックンロール・プレイスを記載していたお手製地図が無い!行こうと思っていた全ての場所を網羅していたので、次に近いのはどの辺か確認するのに便利だったのだけど。。これは痛い! ガクッときたのと歩きっぱなしだったこともあり、ドッと疲れが。一旦、休みたくなった。 そんなわけで、スーパーでスポーツドリンクを買ってからSOHO Squareへ。 ロンドンの中心部では、こんな感じの公園広場がエリアごとにある。普通の公園といったらそれまでだが、静かに佇んでいると音が聞こえてきた。 オルガンの音。音の先を見ると教会があり、少しだけ中に入ると「出入り自由。朝8時から夕方5時まで説教しています」みたいな案内が出ていた。 オルガンに心洗われるのも悪くないけれど、残念ながら今日に限ってそんな余裕はない。スポーツドリンクを一気に飲み干し、さぁ次に行くのはデンマークストリート方面! デンマークストリートは、ロンドンのティンパン・アレーと呼ばれていた場所だ。 ティンパン・アレーというのは勿論、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンはじめ、バリー・マン&シンシア・ヴァイルなど職業作家たちが歌手に歌わせるヒット曲を量産していたアメリカの建物のこと。ロンドンでは、このデンマークストリートに音楽出版社や楽器店が軒を連ね、沢山のアーティストが活動していた。 そんなアーティストが、デヴィッド・ボウイであり、セックス・ピストルズであり、エルトン・ジョンであり……。少し時代を下るとオアシスもそうだった。 セックス・ピストルズが最初のデモテープを作ったのもこの界隈、そしてエルトン・ジョンが代表作の1つ"Your Song"を書いたのもこの通りなんだそうだ。 さぁ、着いた。思ったより狭い道路。車が結構行き来している。 "Your Song"は優れたバラードだけど、こんなところで書かれたのか〜。でもなんか分かる。僕も曲を作っているから。 静かな曲って、実際は喧噪の中で生まれることが多い。曲って渇望から生まれることが多い。 道沿いの楽器店に入ってみる。……あ!!こんな写真が!! 凄い!Kinksもストーンズもここでレコーディングしたんだ!! ごく小さな楽器店でも、こんな歴史がある。やっぱりここはロンドンなんだな。 他の店にも色々と入ってティアドロップ型の硬めのピックを1枚購入。帰ったら使ってみよう。 通りを歩いた感想だけど、ギターショップが多い割に、鍵盤楽器はあまり置いてなかったなぁ。値段は安くも高くもなく。 どうなんだろ、もっとちゃんと歩かないと分からないけど、道沿いの店と比較するだけなら、日本の楽器店の方が品揃えは良いんじゃないかなぁ。 さぁ、そろそろ昼も終わりが近づいてきた。Brian Wilsonに会いにロイヤル・フェスティバルホールに行くのももうすぐだ。 でも、その前にもう1箇所だけ。そこは今日訪れる場所の中でも、特に大事な場所の1つ。一旦、スタート地点のエロスの像まで戻って逆サイドへ。Jermyn Streetを越えてDuke Streetへ。ちょっと洒落た感じの通り。道には画商のギャラリーがいくつか見える。 そんなギャラリーを見ながら想像してみよう。天国なんてないんだと。やってみれば簡単なことさ。地面の下に地獄なんてないし、僕たちの上にはただ空があるだけ……。 そう、今から行く場所こそジョン・レノンがオノ・ヨーコが出会った場所、Indica Galleryなのだ。 1966年11月9日の夜。 ここDuke Streetの中ほど奥にあったIndica Book & Galleryに立ち寄ったジョンは「未完成絵画とオブジェ」と名付けられたコンセプト・アート展に出会う。 興味を惹かれたジョンは1つの作品に目を止める。梯子が立て掛けられていて「のぼれ」という表示。のぼるとそこには望遠鏡があり「覗け」という表示が。 望遠鏡を覗いたジョンが見たのは「Yes」という文字だった。 ジョンは「その言葉が"NO"だったら失望したけど、YESとあったので救われた」と語っている。 僕はこのエピソードが大好きだ。正直、オノヨーコの人柄も作品も十分に理解しているとは言い難いが、このエピソードと作品は、物凄く分かりやすいし、美しい。 「まず肯定、受け容れることから始めよう」というメッセージと、そこに内包される母性。 早くに母親を失ったジョンが、ヨーコに母を重ね合わせたことは想像に難くない。 今では美術商ガイ・ペピアット・ファイン・アートの事務所となっているこの場所を眺めながら、僕は頭の中でJohnが歌う"Love"、"Jerous Guy"、そして"Real Love"、"Stand By Me"を聴いていた。 僕にとってJohnは最初のロックスターだ。60年代ロックにハマったきっかけは多くの人と同様、僕もBeatlesだった。中学2年の時だ。 どの曲も素晴らしいけど、とりわけ"Strawberry Fields Forever"(のTake1)、"A Day In The Life"、"Yer Blues"、"Twist & Shout"のカヴァーなどJohnが中心となってできた曲に好きなものが多かった(勿論、PaulやGergeの曲も好きだけど) Beatles時代の曲、それにソロ時代の曲。どの曲も聴いていて勇気がわくし、ジョンの持つユーモア・センス。これが最高だった。 "Twist & Shout"を歌う前に「安い席の人は手拍子を。高い席の人は宝石をジャラジャラと鳴らしてください」なんて素晴らしくウィットに富んだ発言だ。 あと、モロさも強さも全てをさらけ出したむき出しの姿というか、あれだけのスターにも拘らず近付き難さがなく、人懐っこさすら感じる部分。その辺も魅力的。 そんなジョンだけに残されたインタビューや発言集はどれも面白いけど、特に好きなのは生前最後のインタビューだ。同世代に対するエールを送るJohnは活動再開で活力がみなぎっていた。それに何よりもこの時の「僕は人生で最良の選択を2回した。1つはポール・マッカートニー、そしてもう1つはオノヨーコだ」というコメントには何度泣いたことか。 さぁもう1枚写真を撮ろう。今度は引き気味に。建物全体は、こんな感じだ。 ……というわけで、初日にも関わらず、かなりの場所に行けたことでひとまず満足。 さぁ、ひとまずはWater Looへ!まずはRoyal Festival Hallの場所を確認して、時間に余裕があれば18日に備えてRoyal Opera Houseも下見しておきたい。 色々と買い物もしていたので一旦、荷物を置きにOvalのホテルに戻り、すぐに地下鉄でWater Loo駅に直行。 駅を出て10分もかからないうちにRoyal Festival Hallに到着! 日本でいうと東京国際フォーラムを少し小さくしたような場所。1階の外に屋台の店が出ている辺りも似ている。 これから数時間後にBrianと再会だと思うと、改めてワクワクしてきた! 時計を見るとまだ5時過ぎ。あと1時間ぐらい余裕があるな。よし、ROHに行ってみよう!というわけで、Royal Festival Hallからテムズ川を挟んで北側のEmbankmentまで橋を渡る。 橋の上からWater Loo橋の方を眺める。London Eyeとは違う目線。 渡りきってそこから少し上がって大通りのStrand Streetへ。右に曲がって交差点の方へ。ROHはもうすぐ!……でもその途中には、重要なロックンロール・プレイス、いや、レゲエ史上にとっても重要な場所がある。 それが現在、ライオン・キングをロングラン中のLyceum Theatre。交差点を左に曲がり坂を上ったところにあるこの劇場こそ、Bob Marleyが名盤"Live!"を収録した場所なのだ。 1975年、ここLyceum Theatreで収録された"No Woman No Cry"を初めて聴いた時のことは忘れられない。 場所は日吉の駅ビルにあったCD店の視聴機だ。大学1年のある日、授業が終わり家に帰る前に立ち寄ったCD店で視聴した瞬間、思わず(外にも関わらず)涙が出た。 Bob Marleyが歌った闘いの歌詞は、ラスタマンの歌は、物語ではなく現実に存在した厳しい情勢だ。 それだけにリアルで、"Everything's gonna be alright!"という部分は、もう時代も言語も超越した力があった。 高校時代に初めて"Concrete Jungle"を聴いた(初めて聴いたBob Marley作品)時も圧倒されたが、この時の"No Woman No Cry"にはまるで金縛りにあったようだった。それだけ集中させられた。 その後観た"One Love Peace Concert"の映像では、対立関係にあったジャマイカの二大政党の党首、マイケル・マンリーとエドワード・シアガを握手させた場面に興奮した。「音楽で世界を変えられる」と本気で思わせてくれる場面だった。 さてWellington Streetをさらに歩くと、ROHがあった。(写真は、ROHの感想ページで) 18日は、ここからRoyal Festival Hallまで歩ければいいんだな。十分間に合う距離じゃないか。良かった! ついでにCovent Gardenへ。イメージとしては(ちょっと古いけど)テレビゲーム"クロノトリガー"のスタート地点、リーネ広場みたいな感じ。 まさにお祭りという感じで、ストリート・ミュージシャンや大道芸人の姿もいたるところに。……ん?あっ! こっ・・・これはもしや……! えっ、江頭だ〜〜!!(爆) まさに「ロンドンの江頭」としか形容できないいでたちの大道芸人がCovent Gardenで一番目立ってました(笑) そんなCovent Gardenを少しだけ観て、Water Loo Bridgeにちょこっとだけ寄ってみた。 Water Looから眺める風景。赤い2階建のバス。そしてさっきRoyal Festival Hall側から観たのとは逆に、今度はBig Benの方を観てみる。 のどかだけど綺麗。そして船が橋をくぐって出てきた。 ……!これがイングリッシュ・フレーバーかも!実際にWater Loo Bridgeに立ち、レイ・デイヴィスの言っていることがなんとなく分かった。 さぁ、Royal Festival Hallに戻って、いよいよBrian Wilson in Londonのスタートです! (2011/09/16) |
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